苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「二日たつと」?いや「明日」では!

新改訳2017

「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

文語訳

『なんぢらの知しるごとく、二日の後のちは過越すぎこし[の祭まつり]なり、

口語訳

   「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。
塚本訳

   「知っているとおり、あさって過越の祭である。(その日)人の子(わたし)は十字架につけられるために(敵の手に)引き渡される。」
前田訳

   「あなた方の知るように、二日後に過越(すぎこし)になる。そのとき人の子は引き渡されて十字架につけられよう」と。
新共同

   「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」
NIV    "As you know, the Passover is two days away--and the Son of Man will be handed over to be crucified."

 いずれの翻訳でも、過越祭は「二日たつと」「二日の後」「二日後」「あさって」となっている。ギリシャ語では、「メタ・デュオ・ヘーメラース」である。しかし、主イエスがご自分の受難の死後の復活を予告なさったことばを見ると、

「それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。」(マルコ8:31)

とある。ギリシャ語ではメタ・トレイス・ヘーメラースである。主イエスは金曜日に十字架刑にされ、その金曜日から数えて三日目の未明に復活された。つまり、広く知られているようにユダヤでは当日から数えて「何日後」と表現するので、「金・土・日」で「三日目」といったのである。だとすれば、メタ・デュオ・ヘーメラース(二日後)というのは、今日から数えて2日目であるから、つまり、現代日本語の言い方だと、「明日」ということである。

 しかし、なぜか私が見るかぎり、邦訳聖書は上のありさまだし、英訳聖書もin two daysまたはafter two daysと訳していて、「明日」とかtomorrowと訳しているものは見当たらない。不思議である。私のここまでの議論が正しければ、2017訳は次のように改めるべきだろう。
 「あなたがたも知っているとおり、明日には過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

 となる。これは緊迫感がまるでちがってくる。「あさって」と訳したのでは、それこそ、間の抜けたという意味で、あさってな翻訳になってしまうのではなかろうか。それとも、従来の翻訳で正しいのだろうか?聖書言語に詳しい読者のコメントをお願いします。
<追記>

 ちなみに、ギリシャ語で「あす」「明日」はアウリオンという語があって、マタイ6:30,34などで用いられている。

 

<追記2>
 専門家の友人に聞いてみたら、どうも定かでないとのことです。「三日後」が明後日なら、二日後は明日に、という理解は確かに自然であり、そう理解する注解者もいて、そうなのかも知れない。一方で当時のユダヤ人が、「明日」のことを「二日後」と表現することはない指摘する学者もいる。また、第二神殿期のユダヤ人らは、太陽暦夜中0時から一日が始まる)とユダヤ暦夕方6時頃から一日がはじまる)を混合して用いていたという研究もあり、日時の表記はさほど厳密でもなかった。・・・とのこと。