苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

沖縄新年聖会で、アブラハムの生涯

 昨晩から沖縄に聖会の御用でうかがっています。H先生が出迎えてくださって、沖縄そば屋さんで腹ごしらえをしました。ソーキ(豚バラ)、三枚肉、軟骨の入ったミックスで、平麺というのを食べました。軟骨がトロトロで、これを食べていたらウチナンチュの年寄は膝や肩がギシギシいわないだろうなと思いました。スープが出汁が効いていて、さっぱりしたとてもおいしいものでした。午前11時過ぎに千歳を立って、4時間飛行機に乗っていて昼ご飯を食べ損ねていたので、さらにおいしく感じました。ちなみに、「ウチナ」は「沖縄」という意味、「チュ」は「人」という意味だと教わりました。
 そのあと、会場の沖縄キリスト教学院にまいりまして、夕べの集会となりました。アブラハムの生涯について「神の相続人として生きる」という題で、ハイライト部分のみをお話をする予定で、その第一回目でした。アブラムーアブラハムの生涯をたどるには、10回くらいあるといいのですが、それを3回でということなのではしょって、はしょって話します。
 今回話しませんでしたが、私が数年前から気になっているのは、アブラハムの父テラがウルの地を去って一族を連れてチグリス川源流域ハランの地へと移住した事情に関することです。テラにはアブラム、ナホル、ハランという三人の息子がいたのですが、たぶん末息子ハランを失ったことと、ハラン移住が関係しているのだろうと思われます。そしてウルという大都市国家が戦乱の中で滅亡したことと、末息子ハランの死と、一族の移住はみな関係しているのではないかと推測しています。

 ウルという都市国家については、ウィキペディアにかなり詳しく説明がなされています。それによるとウルは非常に栄えた世界最大の都市国家であり、紀元前2004年頃、エラム人によって滅ぼされてしまったとあります。これはちょうどテラやアブラハムのいたころのことで、王朝はウル第三王朝と呼ばれます。聖書に書かれてはおらず、私の想像ですが、もしかするとテラの末息子ハランは、この戦乱の中でいのちを落としたのではないかと思うのです。テラは、ウルの滅亡、末息子の死という出来事のゆえに、ウルの地を去ってハランへと旅立ったのではあるまいか、と。・・・聖書講解や研究でなく、虚実皮膜の間を書く小説としてアブラハムの生涯を記す機会があれば、こんなことも書いてみたいなどと思ったりします。

 聖書の読者を悩ませる一つの問題は、アブラムに対する主の召しのことばは、ウルの地でなされたのか、ハランの地でなされたのかということです。創世記11章末尾から12章への流れを見れば、ハランでなされたと読むのがごく自然です。12章4節に「アブラムがハランを出たとき」とありますし。ですが、使徒の働き7章にあるステパノの長い説教の中に、アブラハムはウルで創世記12章の召しのことばを受けたのだと記されています。聖書には誤りがあるという前提で聖書を読む人は、ステパノの間違いであると簡単に断じてしまうのでしょう。他にもいくつかの解釈の可能性が考えられますが、決定的なことは言えないでしょう。


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