苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

肩を落として去ったあのエリート青年は

 一昨日、主の日、主イエスに「永遠のいのちを得るにはなにをしなければなりませんか?」と尋ねて来た人物の個所から話をした。この人物は、青年であり、役人であり、金持ちであり、律法の実践に忠実で品行方正であった。主イエスから「完全になりたいなら、全財産を貧しい人々に施して、天に宝を積んで、それからついてきなさい。」と言われて、彼はそれはできないと落胆して去って行ったのだが、主は彼をあきらめたわけでなく、金持ちが救われることは難しいが、人間にはできなくとも神にはできるのだとおっしゃった。つまり、主は、彼が、今は落胆して去って行ったが、後の日には青年は永遠のいのちを得ることになると予告された。

 さらに、この青年が去ったのち、「私たちはすべてを棄ててきました」と胸をはるペテロに対して、主イエスは「先のものは後になり、後のものが先になる」とおっしゃった。つまり、「今先を走っているペテロやほかの使徒たちは、後になったあの金持ちの青年が彼らを追い抜く日が来るかもね」と暗示された。

 私には、この青年がサウロその人ではないかと思われてならない。青年、役人、金持ち、律法に忠実ということだけでなく、他に2点、証拠と思われることがある。

 第一は、パウロはかつて自分は律法に関していえば非の打ちどころのない者であったといいつつ、彼がついに決定的に罪を自覚したのは、「むさぼってはならない」という十戒の第十番目の戒めによったのだとローマ書7章で言っていることである。これは、主イエスがあの青年に、全財産を貧者に施せと仰られたときに、自分の中に見出した罪と一致すると言えよう。パウロは実体験として、律法によって罪を自覚させられ、そして、キリストにある恵みによる救いを得た。

 第二に、主イエスが自分たちがすべてを棄てて主に従って来たことを誇る使徒ペテロに対して、「先の者が後になり、後の者が先になる」とおっしゃったことである。パウロは、他のどの使徒よりも主イエスのために多く働き、多く苦しむことになった。

 しかし、これほどの状況的な一致があるにもかかわらず、聖書にはあの青年が実は若い日のパウロであったという直接的な言及がない。