苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ナルドの香油の出来事はいつ?

 マルコ伝14章には、ベタニアのマリアがナルドの香油を注いだ事件について、以下のように記している。

1**,過越の祭り、すなわち種なしパンの祭りが二日後に迫っていた。祭司長たちと律法学者たちは、イエスをだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していた。**
2**,彼らは、「祭りの間はやめておこう。民が騒ぎを起こすといけない」と話していた。**
3**,さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。**
4**,すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。**
5**,この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。**
6**,すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。**
7**,貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。**
8**,彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。**
9**,まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」**
10**,さて、十二人の一人であるイスカリオテのユダは、祭司長たちのところへ行った。イエスを引き渡すためであった。**
11**,彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機をうかがっていた。

 すなわち、過越の祭りが二日後に迫っていたとき、祭司長たちがイエスを暗殺するために謀議をしている記事が1,2節にあり、3-9節にナルドの香油の記事が挟まれている。そして、祭司長たちの謀議の中にユダが飛び込んできたということが10,11節に記されている。マタイも26章1節から16節で同じ構造をしている。

 他方、ヨハネ福音書12章には次のようにある。

1**,さて、イエス過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。**
2**,人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。**
3**,一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。**
4**,弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。**
5**,「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」**
6**,彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。**
7**,イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。

 マルコ、マタイの記事は一見するとナルドの香油の出来事は、過ぎ越しの祭りの二日前(ユダヤの日の数え方では当日を含むので、日本風にいえば前日)にあったかのように映るのに対して、ヨハネの記事はナルドの香油の出来事は過ぎ越し祭の六日前にベタニアであったと記している。矛盾だろうか?

 矛盾ではない。マルコ14章とマタイ26章の記事の構造は、過ぎ越しの祭りの二日前にイスカリオテ・ユダがイエスを裏切って祭司長たちに売った引き金となったのは、数日前にあったナルドの香油の出来事なのだということを示しているのである。