苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

説教者とギリシャ語本文・・・とりあえず強調点を読み取る

 神学校の学びにおいて、聖書語学の負担はとても大きい。大きいけれど、卒業後それを活用している人は必ずしも多くはないらしい。30年ほど前は現代のようにソフトは存在していなかったから、なおのことである。語学の達人でもない凡人が、説教本文のすべての語を辞書を引き引き分析していたら、毎週の説教準備に時間がかかりすぎる。それだけでずっと書斎に引きこもっていたのでは、足を使って伝道も牧会訪問もできなくなってしまう。学者ならば、それでよいだろうが、伝道者としてはそうは行かない。それでもギリシャ語に未練があるので、神学生時代には自らに禁じていたギリシャ語英語行間訳聖書を手に入れて目を通しても、それだけでは説教のためにたいした収穫は得られない。 

 語学の凡人として、時間を割いて学んだ語学を使わないのはもったいないと考えた。説教者として聖書釈義で何が肝心なことなのかとギリギリに絞ってしまえば、要は聖書記者が当該テキストで何を強調しているのかを読み取ることである。そこで自分が意識している強調語法を、恥ずかしながらメモしたのが下の1~5である。今回6~8を加えてみた。ギリシャ語に堪能な読者にはもっと教えていただけるとありがたい。

 聖書語学を教えている先生方には語学の達人が多かろうと思うが、一通りの文法を教えた後、あるいはその最中であっても、当該テキストの強調点の読み取りかたをまとめて教えて欲しいと思う。

           

ギリシャ語の強調語法の私的まとめ

 (*何度も前後2章程度邦訳聖書を熟読して文脈を把握したことを前提として)

1 筆者は伝えたいことを繰り返すから、繰り返されるキーワードに着目して主題を読み取る。

(ちなみにヘブル語でも同じで、創世記1:27には「創造する」が3回繰り返されている。日本語でも同じで、選挙のとき「〇〇△△に清き一票を!」と連呼するのは強調するため。)

2 主文があり、述語に分詞がかかっている分詞構文の場合は、一応、主文がまず言いたいことであるということになっている。
 しかし「一応」と言ったのは、たとえばエペソ書2章を読めば、たくさんの分詞節がズラズラ並んでいるという状態である。そこに本当に係り受けの関係があるのだろうかと疑問だった。単に口述筆記で、使徒の口調が、「・・・・して、・・・・して、・・・・して、・・・・して、・・・・して・・・です」というものだったというだけのことではないかと推測している。実際、邦訳聖書はほとんどバラバラに切って訳している。友人の専門家に聞いたら、その通りとのこと。

3 書かなくても通じる代名詞をあえて入れている

 ギリシャ語は動詞の変化によって、主語が誰であるかを示すことばであるが、あえてそこに代名詞を入れている場合は強調したい場合である。

  例)マタイ28:5「(番兵は恐れたが)あなたがたは恐れなくてよい」、ヨハネ10:14「わたしは・・・」
(ちなみにヘブル語でも代名詞主語はふつうは省略される。あえて書くのは強調表現。日本語でもそう。) 

4 英語ではSVOとかSVOOというように語順で文の諸要素が何かわかるようになっているが、ギリシャ語は語形変化によって、要素が見分けられるので、日本語のように語順はどうにでもなる。語順において強調したい語は文頭か文末に置かれる。

(ヘブル語はふつうVSOの順序だが、Sを強調したい場合SVOにしたり、Oを強調するにはOVSとかVOSにするという。だが、SVOの用例は頻出するので、そこまで強調しているのか疑問。)

5 アオリストと未完了を使い分けてコントラストをつけている。ギリシャ語の未完了形は、反復・継続を意味する。アオリストは時はともかく、ポンと一回の行為。

例)マルコ12:41,42
  金持ちたちの献金は未完了、やもめのレプタ2つはアオリスト。金持ちたちが入れ代わり立ち代わり金貨や銀貨を捧げている場面、そこに一人のやもめがやってくると主イエスの視線はそこに注がれる。彼女はレプタ二つをささげた。新改訳では未完了は「投げ入れていた」と訳し、アオリストは「投げ入れた」と区別している。

6 すでに特定した主語を改めて代名詞で言い直して強調する(懸垂主格
 「太郎君、彼こそは男の中の男」みたいな感じ。

 ヨハネ7:38「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」

7 形容属格
 形容詞を使うより形容属格の方が強調的。「羊飼い、良い人」→「良い羊飼い」
例)ヨハネ10:11、ルカ18:6、ローマ8:21など
追記>でもこれは用例が頻出すぎるので、いちいち強調とまで言うべきか、とコメントを読者からいただいた。

8 同語源の語の繰り返し
 動詞と同じ意味を持って、強調する たとえば「これは練りに練った作品です」とか、「待ちに待ったクリスマス」とか
例)ルカ22:15「願いに願って」→「切に願って」

 (ちなみにヘブル語でも。例えば創世記2:17「あなたは必ず死ぬ」と訳されているのは、モート・タームート。創世記43:7シャーオール・シャーアール「尋ねに尋ね」→「しつこく尋ねる」とか。)