神学には、罪のとらえ方を支点として、3つのタイプ体系が生じる。恩寵救済主義、自力主義、そして両者の中間の神人協力説である。これはA.A.ホッジがOutlines of Theologyで言っていたこと。
1.恩寵救済主義。
人間の罪は自由意志までも罪しか選べない状態に陥っているゆえ、ただ神の恵みによって救われる以外ないとする立場である。これは、古代教父アウグスティヌス、近世宗教改革者ルター、カルヴァン、そしてルター派、改革派神学の体系である。
2.自力救済主義。
人間には原罪などないから、自力で人間は幸福になれるという考え方である。アウグスティヌスの論敵ペラギウス、近代のソッツィーニ主義、近代リベラリズムの体系。
3.神人協力説・半ペラギウス主義
人間が堕落し原罪があることは認めるが、堕落は全面的なことではないとして、自由意志に善性が残っているとし、神の恵みと人間の善き業が協力して救いは成就するという考え方。半ペラギウス主義、トマス・アクィナスの恩寵と自然の綜合、アルミニウス、ウェスレーの立場。
近年日本でも話題になってきたN.T.ライトは、半ペラギウス主義のライン上にある。ライトが、原罪論がなくテオーシス(神化≒きよめ)の救済をいう東方教会に親近感を抱くのはそういう意味で論理的必然だといえるだろう。J.I.パッカーはアウグスティヌス〜カルヴァンの徹底的な恩寵救済主義のライン上にある。両者ともに聖公会の教職だが、聖公会は基本的に中道主義つまり半ペラギウス主義なので、この件に関して言えば、ライトは多数派に属し、パッカーは聖公会内カルヴァン主義という少数派に属する。
一般的な印象として、恩寵救済主義は教理を重んじるかわりに敬虔に弱く、神人協力主義は敬虔を重んじるかわりに教理に弱い傾向がある。J.I.パッカーの特徴は、恩寵救済主義の堅固な神学に立ち、かつ、その教理が祈り深い生活、神への賛美へと昇華されていることである。よくいう<クールな頭と、熱いハート>・・・というか「神を愛するための神学」のお手本のような方。