贖罪論に関して、はあたかも常識であるかのように、次のようなことが語られている。<古代は神が悪魔に御子を身代として渡したという「古典説・劇的説」が行われた。中世にアンセルムスが贖罪は神の満足のために行われ、宗教改革者はそれを聖書的用語をもって説明した(満足説~代償的贖罪説)。中世にあってアンセルムスに反発したアベラールはキリストの十字架に現れた愛に感動した者が神に忠実に生きるようになったその生き方が贖いとなるとする道徳的感化・主観説を唱えた。>とすると、プロテスタント教会で広く教えられる代償的贖罪説は500年ほどの歴史しかない、というのである。ほんとうだろうか?嘘である。
古代教父たちは、代償的贖罪とともに悪魔からの解放を説いていた。中世のアンセルムスは悪魔の話は横に置いて、神の栄誉が満足させられるためにキリストの贖罪のわざはなされたと説いた。宗教改革者ルター、カルヴァンは教父たちと同じく、神の義の満足のため代償的贖罪に併せて、悪魔からの解放をも説いていた。中世のアベラールはアンセルムスの厳密で客観的すぎる法的表現を嫌って、もっと贖罪のもたらす主観的な面を説いたのは事実だが、代償的贖罪を否定したわけではない。明確に代償的贖罪説を否定したのはソッツィーニ主義であり、近代の自由主義神学である。その萌芽がアベラールにあると解釈することは許されるであろうけれども。
詳細は拙著『新・神を愛するための神学講座』第13章を読まれたい。