苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

伝道の定義

*主の大宣教命令

 もう四十年くらいまえ、神学校で伝道学というO先生によるクラスがあった。そこで教わったことは、伝道の定義を主イエス大宣教命令から学ぶということだった。

 マルコ福音書16章、ルカ福音書24章、使徒の働き1章の大宣教命令の内容は、「すべての人に福音を聞かせよ」ということであり、他方、マタイ福音書の28章の大宣教命令の主動詞は「弟子としなさい」である。したがって、伝道とは、第一に「すべての人に福音を聞かせること」であり、第二に「悔い改めて福音を信じた人を弟子とすること」である。

 ところが、非常に多くのクリスチャンが伝道の定義を誤解している。つまり、伝道とは福音を伝えて信仰に導き洗礼に至らせることであると思っているのだ。その誤解の結果、洗礼にまで導くところまでいかなければ、自分は伝道に失敗したと思って、挫折感を覚え、やる気をなくしている。また、なかなか洗礼に至らせる見通しがないような伝道、たとえばラジオ伝道とか大集会伝道とかトラクト配布とかについて否定的になってしまったり、因習の強い地域、過疎地などに伝道しなくなってしまう。

 しかし、大宣教命令によれば、伝道の第一面は主から託されたと信じる人々にとにもかくにも福音を伝えることである。伝えることができたなら、それでまず成功なのである。伝えることをしなかったならば、それは全くの失敗である。したがって、地域教会であれば、その地域の人々に、路傍伝道であれ、訪問伝道であれ、伝道文書配布であれ、どんな方法でもよいから、自分にできる方法で福音を満たすことが肝心である。その結果として、主イエスを信じて教会に来る人がいれば、それは嬉しいことであるが、仮に猛反発を受けてそうならなかったとしても、あるいはまったく無反応だったとしても、もし福音を満たしたならば、その伝道は半分は成功なのである。

 そして、大宣教命令の第二の面は、悔い改めてイエスを信じた人々を主の弟子として育てることである。主の弟子として育てるとは、伝道論的には福音を伝えることができる人として育成することを意味する、とO先生は教えてくださった。教会論的にいえば、主の弟子として育てるとは、キリストのからだである教会を形成することである。

 

*第一の命令と第二の命令の関係

 第一の命令と第二の命令の関係について、O先生がご自身の経験に基づいて言われたことで印象深く残っていることがある。主の命令にしたがって福音を全戸に伝えて回ったけれど、それで悔い改めてイエス様を信じて教会に来る人はなかなか起こされるものではない。けれども、伝道者として主のご命令に答えていれば、主がほかのさまざまのところから教会に来る人を起こしてくださるものであるということである。その人を主の弟子として育成すればよいのである、と。つまり、託されたと信じるすべての人々に福音を伝えたら、その直接的結果として悔い改めてイエスを信じる人が起こされ、その人を弟子として育成するというわけではないということである。実際に、私自身も伝道をしてきて、同じような感想を持っている。

(ちなみに、いわゆる伝道と社会的奉仕についても、同じようなことを感じる。両者を直接的に関係づけることはしないのがよい。目先の損得勘定抜きで、とにかく両方実行することだ。)

 以上がO先生が教えてくださったことである。


*「教会成長論」の功罪

 だが、1970年代後半から80年の当時、米国のプラグマティズム(実利主義)の焼き直しである「教会成長論」というものが流行していて、「教会が人数的に成長する伝道方法は正しく、そうでない方法は間違いだ」という教えが広められた。その影響を受けた牧師たちは教会において直接的に人数的に結実する伝道方法にはエネルギーを注ぐけれども、そうでない伝道方法には関心を示さなくなった。

 教会成長論にも功はあったと思う。それによってある地域には、百名、二百名、三百名といったサイズの教会が日本にいくつか生まれた。教会とて人の集まりであることは事実だから、人の群れに働くダイナミズムには一般の組織と共通する面があるから、その交通整理や活性化のノウハウを学ぶことには意味があるのだろう。三十名ほどの人たちと百名ほどの群れと五百名の群れとでは、運営の仕方が異なるのである。

 他方、教会成長論の弊害は、そもそも教会形成と成長の見通しのたたない過疎地・農漁村などには福音を伝えることは無駄だという印象を与え、「すべての人に福音を聞かせよ」という主の宣教命令に従う気持ちをなくさせてしまったことである。教会成長論的にいえば、日本各地の郡部のような地域や仏教王国と呼ばれるような地域で伝道することはナンセンスだということになってしまう。

 そして、教会の目先の人数的成長にのみ関心を持つようになった結果、教会の日本社会に対する影響力はうんと下がって来たような気がする。受け入れられようと受け入れられまいと、損得など考えないで、キリストの福音を伝え続けるということがなくなって、教会は内向的になってしまったのではないか。そして結局、裾野が小さく狭くなって、長期的には人数的にも振るわなくなってしまったように見える。富士の峰が高いのは、裾野が広いからなのだ。

  神学校卒業間際、三月にY君といっしょに能登半島珠洲の教会を訪ねたことがある。能登浄土真宗王国であり、珠洲の人々の人生の目標は巨大でデラックスな仏壇をそなえた仏間のある家を建てることだという。そこに女性の伝道者二人ーご高齢の方と若い方ーが遣わされていた。ごくごく小さな教会である。お話をうかがうと、お二人はこの珠洲という町の隅から隅まで一軒残らず福音を伝えて2度回られたとおっしゃっていた。イエス様を信じ礼拝に集う人が、数名起こされてきたという。お二人は晴れ晴れとした顔をしておられた。この伝道は「成功」である。福音をすべての人に伝えたから。

 自分自身のことをいえば、神学校卒業と同時に赴いた練馬での9年間の伝道は「失敗」だった。洗礼を受け、教会に加わる人たちはあったが、その地の人々の中に十分に福音を満たしたかと問われるならば、決して十分だったとは言えないからである。そういう残念な思いがありつつ、私は長野県南佐久郡の小海町に開拓伝道に入った。今度は同じ過ちは犯すまいと思っていた。この広い南佐久郡人口25000人ほどで離れ離れの集落の一軒一軒にどのようにすれば、福音を満たすことができるだろうかと考えた。そうして私にできる方法を考え、月刊「通信小海」を発行して22年間、7000戸に届け続けた。これが宣教ケーリュグマである。

 他方、家庭集会、公民館グループ、農作業の手伝い、クリスマスリースを作る会、子育てグループなどさまざまな方法でコンタクトをつくって、個人伝道をしているなかで徐々に洗礼を受ける方たちが起こされ、また、他の地域から引っ越してきた方たちが加えられて、教会が形成されてきた。形成されてきた教会には、連続講解や時々使徒信条や教団の信仰告白文の連続講解や読書会というかたちで説教によって教えディダケ―をしてきた。

 キリストのしもべにとってなにより大事なことは、キリストのご命令に従うことである。目先の損得、目先のいわゆる成果は横に置いて、とにかく、「すべての人に福音を聞かせること」と「悔い改めて福音を信じた人を弟子とすること」に徹していきたい。