日本長老教会の委員会は「NTライト神学の検証と評価」という緻密で用意周到な論文を発表された。たいへんな労作なのだが、読むのも苦労なので、まず初めの3章の一番の重要点と思われるところをここにメモしておく。
1.N.T.ライトの聖書理解の手順(37ページ)
ライトは、聖書のある概念を理解するには、まず第二神殿期のユダヤ教文献を読むことが必須であるとする。
①まず第二神殿期のユダヤ教文献においてそれがどのように教えられているのかを調べ、
②次にユダヤ教文献の概念や理解が使徒たちの理解と同じてあると仮定し、これを新約聖書の解釈に適用する。
③そして最後に旧約聖書を開き、第二神殿期のユダヤ教文献および新約聖書とのつながりを確認する。
つまり、ライトの新約聖書解釈の土台は、第二神殿期のユダヤ教文献である。では、彼が特にその土台として重視する第二神殿期のユダヤ教文献とは何か?
2.そのユダヤ教文献とは第一マカバイ書、第四マカバイ書、特に後者である(34ページ参照)
第二神殿期のユダヤ教文献のうち、新約聖書解釈のためにライトが注目するのが第二マカバイ書、第四マカバイ書であり、格別、「第四マカバイ書こそがイエスを理解する鍵であると主張する。」ライトは、この書にはイエスとその働きに共通する次の三つの概念があるとする。
①殉教者たちの苦難は国家全体の苦難と関連があり、両者を切り離すことはできない。
②殉教者たちの苦難が国家の苦難の集約点であり、また捕囚はイスラエルに対する神の裁きの顕れである。
③国家(イスラエル)を代表する殉教者が苦難の贖いをイスラエルにもたらす。
つまり、ライトは、イエスがこのユダヤ教文献に現れるイスラエル国家のための殉教者に、自分をあてはめたのだと主張するのである。だから、ライトは、イエスの十字架の死と復活は個人個人の罪のためでなく、イスラエル国家の贖いとなったという。
第二マカバイ書はイエスの時代よりも先に書かれたのだが、第四マカバイ書の執筆時期はライト自身も1世紀半ばと認め、他の研究者はも2世紀(135年ころ)としている。イエスを十字架にかけたローマ総督ポンテオ・ピラトが在任したのは紀元26年から36年である。当然、イエスは第四マカバイ書を参照できなかった。だから、イエスがこのユダヤ教文献に現れるイスラエル国家のための殉教者に、自分をあてはめたということはありえない。(ああばかばかしい。)
では、パウロ書簡(ローマ書、ガラテヤ書)についてはどうか?パウロの文書は手紙であり、手紙というものは宛先の読者たちも第四マカバイ書を知っていなければ、その知識を前提とした(とライトがいう)パウロの議論を理解できなかったはずである。そうでなければ、手紙として機能しなかったはずである。だが、55~60年に異邦のローマやガラテヤの人々が第四マカバイ書に親しんでいたという状況を想定することにはものすごく無理がある(37ページ参照)。
実際に1世紀の教会が第二神殿期のユダヤ教文献を重視した形跡がない。イエスはご自身の働きを説明するためにしばしば旧約聖書を引用なさったが、第二神殿期のユダヤ教文献を引用したことは福音書の中に1か所もない。パウロも書簡において旧約聖書から引用するが第二神殿期のユダヤ教文献からの引用はない(31,32ページ)。ライトは例えばヒラステーリオンという用語が第四マカバイ書とローマ書3章に共通しているからと言って、両署は関連していると強弁するのだが、それは単なるライトの思い付きにすぎず、短絡的で、説得力は皆無デある(37ページ参照)。
結び ライトの新約聖書解釈の土台は、第二神殿期ユダヤ教文献、特に第四マカバイ書であるが、その土台はイエスと結びつく可能性はゼロであり、パウロと結びつく可能性も限りなく小さい。
感想 ライトの新約解釈は砂上の楼閣である。ライトという人は構想力というか空想力の人だなあというのが、私の率直な印象。ライトの本を時間とお金とエネルギーをかけて読むのがあほらしくなった。
長老教会の出されたこの論文は、ライトの断定的な書きぶりと違って、慎重な書きぶりで、それだけに学問的に信頼できる。
<出典>日本長老教会「NTライト神学の検証と評価」
http://cms.chorokyokai.jp/files/2916/7853/9047/npp20221123.pdf
p37