苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ユダヤ教文書の色眼鏡(2023年11月26、28日追記あり)

 N.T.ライトは彼が1世紀中頃に書かれたと判断するユダヤ教の第4マカバイ書とそれに関する4世紀のユダヤ教学者のコメントを手掛かりとして、「罪」や「義認」はバビロン捕囚がらみのイスラエル国家に関することなのだという着想を得ました。そして、その1世紀中頃のユダヤ教文書という色眼鏡をかけて1世紀のパウロ文書を読むべきだと主張します。これは時代錯誤だと数日前に書きました。もし第4マカバイ書が紀元前2世紀や前1世紀に書かれていて一般化していて、イエスパウロが生きた紀元1世紀前半の思想的背景となっていたというならば、まだ説得力がありましょうが。

 イエス時代前後のユダヤ・シリア文献学に対する私の無知無理解を一生懸命にただそうとしてくださるありがたい勉強好きのFB友がいます。興味深いことを教わりました。「ユダヤ・シリア文献学では、イエス時代の前後に資料が分かれているので、前者からは因果関係の影響を探り、後者からは過去の出来事、語義、文法の意味を『解釈する』という手法でよってしか学び得ないのです。」(1世紀がブラックボックスということ、面白い)とのこと、そして福音派で現在一般にもちいられている辞典類もまた、それを織り込んで書かれているのであるから、ユダヤ・シリア文献学の成果を否定すべきでないとおっしゃるわけです。ただし、theFB友はライトの罪理解や義認理解の成否については、議論がばらけるので沈黙なさっています。・・・不正確に彼のことばを引いて、「まずいなあ。どう書き直したものかなあ。」と思っていたら、忍耐強く説明を加えてくださったので、上のように書き直しておきます。これで納得されるかどうか、わかりませんが。 

 ライトの書きぶりで問題だなあと感じるのは、「推測」といえるものではなく、自信満々の断言なのです。第4マカバイ書に着想を得たライトは罪と義認を個人の問題でなくイスラエル民族の事柄であるとして、パウロ書簡はそういう観点から読むべきだとしています。でも、たとえばローマ書1章から8章を読んでみると、そりゃあ無理でしょうと思います。9章から11章にはいると、その視点が必要になるとは思っています。

<追記2023年11月26日夜>
☆第4マカバイ書の執筆年代の件
 「第4マカバイ書の執筆年代は紀元前であるという説が一般的なのだ」という丁寧な反論をFB友である読者からいただきました。事実はどうなんでしょう。私が上に書いたのは日本長老教会のライト神学に関する説明によります。一部分引用しておきます。37頁です。
「第一・第二・第三マカバイ記についてはイエスの時代よりも先に書かれたという共通認識が研究者の間に定着している一方、第四マカバイ記についてはそのような共通認識は存在しない。マカバイ記の研究者として有名なH・アンダーソンは第四マカバイ記の執筆時期を紀元前63年から起源70年までの約100年間の「いずれかの時」とし、他の研究者の中にはその成立年代を2世紀(135年ころ)と推定する者もいる。ライト自身も第四マカバイ記は1世紀の中頃に記されたと推測している。果たして、イエスパウロの時代に第四マカバイ記はすでに存在しており、彼らがこの書を参考にすることができたのであろうか。」

 反論してくださった方のが正解なのか、こちらが正解なのか、私には判断しかねます。

☆第4マカバイ書と迫害時代の教会
 上のFB友の紹介してくださった文献によると、殉教の意義を説いた第4マカバイ書はローマ帝国の迫害下に置かれた古代教会の人々を励まし、教父たちの新約聖書理解や殉教神学の形成にも影響を与えたのだそうです。そういう可能性はあるだろうなと思うので、他日、確認したいと思います。