詩篇12:1
【主】よ。お救いください。
聖徒はあとを絶ち、
誠実な人は人の子らの中から消え去りました。(新改訳)主よ、お助けください。神を敬う人は絶え、
忠信な者は人の子らのなかから消えうせました。(口語訳)ああヱホバよ助けたまへ そは神をうやまふ人はたえ誠あるものは人の子のなかより消失るなり (文語訳)
詩篇12:2
主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え、人の子らの中から信仰のある人は消え去りました。(新共同訳)
<黙想>
新改訳「聖徒」が、新共同訳では「主の慈しみに生きる人」という訳語。chacid語源が慈しみからだろう。また、「誠実な人、忠信な者、誠あるもの ,faithful」が新共同訳では「信仰のある人」とある。emunim。語根はaman「信じる」。日本語で「誠実な人」は単に良心的な人のような印象だが、それは聖書のなかでは神への信仰に裏打ちされたものだと教えられる。
詩篇12の文脈のなかでは、「 12:2 人は互いにうそを話し、
へつらいのくちびると、二心で話します。 12:3 【主】が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。 12:4 彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。 だれが、われらの支配者なのか。」と続くように、聖徒からはずれた人々、信仰なき人々の特徴は、ことばの真実を失っていること。
そして聖徒を救う主のことばは、「 12:6 【主】のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。」
聖徒の聖徒たる特徴、主の慈しみに生きる人の特徴は、ことばの真実。それは、彼を支え生かす主のことばがまじりけのないことばの主であられるから。
どうぞ、私を偽りの舌から守ってください、と祈らないではいられない。