苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』

先日、A牧師に紹介していただいた宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』の第一章「独裁者の言語」を読んで、むかし学んだバルトとブルンナーの間の自然神学論争において、バルトがあくまでも「ナイン」と自然神学全否定の主張をした(せざるをえなかった)時代的背景が、たいへん具体的によくわかりました。
 ヒトラーは強烈な「摂理信仰」者で、自分の人生に起きたことは神の摂理であり、ドイツがヒトラーの思惑通り電撃的に西ヨーロッパを手中に収めたこともまた摂理であると主張しました。彼は自らをドイツ民族の救い主であると確信していました。彼は「摂理」と「自然」をしばしば同じ意味で用いています。聖書の啓示によらず、自分の暴挙を都合よく解釈するのが当時の文脈における「自然神学」でした。


 2章「映像の言葉」ではメディアを用いたたくみな国民扇動。

 3章「教育の言葉」では教育による国民マインドコントロールが扱われています。教育のなかでは歴史教育がその焦点であり、「国民学校における政治教育は、第一に歴史の授業に基づいて行われ」、「個々の典型的な人物に現れる父祖たちの英雄的闘争」としての歴史が植えつけられる。偉大な英雄が歴史をつくってきたという英雄史観とでもいうべきものである。
 「歴史の授業とは子どもたちに『われわれの偉大な過去にたいする畏敬の念とわが民族の歴史的使命と未来への信仰』とを与えるものでなければならない。歴史の究極的目標は、子どもっちが、すでにこの早期の年齢から、わが民族とその総統にたいして熱狂を抱くようにさせることである」と書かれています。pp97,98と。

 また、あの時代、ドイツでは子どもたちが食前に「ヒトラーへの祈り」とでもいうべきものを唱えていたという記事にはびっくりしました。

「総統よ、神から私に与えられた私の総統よ
私のいのちを長く保ち守ってください。
あなたはドイツを深い苦難から救い出してくださいました。
私は今日も日ごとのパンをあなたに感謝します。
どうか私の傍らにいつまでもとどまり、私を去りませんように。
総統!私の総統!私の信仰、私の光!私の総統、万歳!

 主の祈りヒトラー版です。あの時代、ドイツは比喩的にというより、リアルに黙示録13章の世界だったのだと知りました。



 4章は「地下の言語」。ナチ体制下の民衆のジョークにかんして、5章は「深層の言語」では民衆の深層意識にまどろむ夢分析


 かつて日本でも、類似のことが起こっていました。本書は過去と現在の日本を知り、私たちが今後ふたたび同じ事態に陥らないために、一読の価値があります。岩波新書です。
 amazonの書評に秀逸なのがいくつもあります。
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