苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自由の価値を知らない霊性では・・・

 木村公一牧師の『人間の盾 パクス・アメリカーナとキリストの平和』を読んでいて、こんなことばに突き当たった。

 問題は、支配権力を駆使して生き延びてきたフセイン政権を、イラクの民衆が自らの犠牲と力ではなく、外来の借り物のパワーで倒しても、それはイラク民主化とは何の関係もなく、クーデターの変種に過ぎないということです。そのような米英による「クーデター」は、自己の良心の自由を守るためには自らの流血もいとわない霊性を育てないどころか、それを潰しているのです。自由の価値を知らない霊性は、良心の自由というめまいから逃れるために、その自由を預かってくれる「第二のフセイン」や「第二のスハルト」を求めるのです。・・・この問題は、お湯を注げば三分で出来上がるインスタントラーメンのような方法では取り組めない事柄なのです。(pp103,104)

 厳しいことばである。だが、実際、私たち日本人はインスタントラーメンのような方法で日本国憲法を得、戦後民主主義を得てしまったのだろう。その前の戦争で払った犠牲はあまりにも大きく、諸国民にかけた迷惑はさらに大きいのだけれども、日本国民は民主化のために闘って血を流したわけではなかった。だから、今、国民の多くが、第二のフセインや第二のスハルトならぬ、極右政治家を持ち上げているのだろう。
 今回の選挙の結果、「改憲のための発議に必要な賛成数を両院それぞれ過半数とする」という自民・維新・みんなの主張した世界の非常識はどうやら実施されそうにないようだが、一方で、公明は「条件付賛成」と玉虫色のことも言っているという報道もあるので、その可能性はゼロではない。
 たとえそうでなくても、両院それぞれ「3分の2」で発議できるという事実は変わらない。自民の改憲草案の古色蒼然たる「基本的人権制限」に賛成する議員が両院それぞれ3分の2得られるとは思えない。 しかし、9条改憲については、明確に反対している両院の国会議員はわずかであるから、両院でそれぞれ3分の2の賛成が得られる可能性は相当あるだろう。もしそうなれば、その先は国民投票である。これは、日本国民が日本国憲法9条を失う非常な危機である。けれども、この危機は、もしかすると9条を国民が自分のものとして受け取りなおすチャンスでもある。インスタントラーメンでない、本物のラーメンとして。