苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

王が欲しいという空気

8:10サムエルは王を立てることを求める民に主の言葉をことごとく告げて、 8:11言った、「あなたがたを治める王のならわしは次のとおりである。彼はあなたがたのむすこを取って、戦車隊に入れ、騎兵とし、自分の戦車の前に走らせるであろう。 8:12彼はまたそれを千人の長、五十人の長に任じ、またその地を耕させ、その作物を刈らせ、またその武器と戦車の装備を造らせるであろう。 8:13また、あなたがたの娘を取って、香をつくる者とし、料理をする者とし、パンを焼く者とするであろう。 8:14また、あなたがたの畑とぶどう畑とオリブ畑の最も良い物を取って、その家来に与え、 8:15あなたがたの穀物と、ぶどう畑の、十分の一を取って、その役人と家来に与え、 8:16また、あなたがたの男女の奴隷および、あなたがたの最も良い牛とろばを取って、自分のために働かせ、 8:17また、あなたがたの羊の十分の一を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう。 8:18そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう」。
8:19ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、「いいえ、われわれを治める王がなければならない。 8:20われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」。    サムエル上8:10-19


 サムエルの息子たちは、彼の師匠エリの息子たちのように不埒な者たちだったので、民は王を欲した。いや、民が王を欲した理由にはそれ以上のことがあった。彼らは、他の国々のようにヒーローが欲しかったのである。それはある種のアイドル、つまり、偶像であった。社会が閉塞感に覆われている時、民はえてして強力な権力者を待望し、英雄がその闇を一刀両断にしてくれると期待する。そうして、その権力者に全権を委ねてしまうというような、冷静になれば考えられないようなことをしてしまう。かつて第一次大戦後に莫大な賠償を課せられ、かつ世界恐慌のなかで苦境にあったドイツ人たちは、合法的手続きでヒトラーに全権を委ねてしまい、滅亡への道を暴走していった。
 現在の日本の空気に危険なものを感じている。失われた20年と呼ばれる閉塞感。その中で、政府はアベノミクスとかいう金融緩和政策で、投資家たちの人気を得て、好況に向かっていくかに見えるバブルをふくらませ、なりふりかまわぬパフォーマンスで人気取りをしている。氏がねらっている本丸はいうまでもなく、憲法9条改変であり、海外派兵する軍隊である。そのために、改憲のハードルを引き下げる96条の改変を7月の参議院選挙の公約にするという。そのためのウソと詭弁を弄している。
 ウソ・・・「改憲発議に衆参両院で三分の二の賛成をもとめるという特別多数条項は、改憲をほとんど不可能にしている。こんな憲法は世界に例がない」というが、これはウソである。米国、ドイツ、フランス、ベルギーなどなど世界中の憲法改憲に特別多数を求める仕組みになっている。なぜなら、そうしておかなければ、過半数議席を持つ与党は、恣意的に改憲発議ができることになり、「権力者を制限するという憲法の役割」が果たせなくなるからである。特別多数を放棄することは、憲法を放棄することである。
 詭弁・・・いかにも国民をたいせつにしていますよといった人気取りの詭弁は、「現行の96条は国民投票を不可能にしている。国民の審判を仰ぐために、96条改変すべきである」というもの。権力者がマスコミを押さえてしまえば、国民投票というものは相当コントロールできると見込んでのことだろう。国民投票はむかしからパフォーマンスにたけた独裁者の常套手段なのだ。

 「王が欲しい、英雄がほしい、アイドルが欲しい」・・・私たちの国はだいじょうぶだろうか。祈ろう。