苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ギデオン 2 父の偶像を倒す

 6:25その夜、主はギデオンに言われた、「あなたの父の雄牛と七歳の第二の雄牛とを取り、あなたの父のもっているバアルの祭壇を打ちこわし、そのかたわらにあるアシラ像を切り倒し、 6:26あなたの神、主のために、このとりでの頂に、石を並べて祭壇を築き、第二の雄牛を取り、あなたが切り倒したアシラの木をもって燔祭をささげなさい」。 6:27ギデオンはしもべ十人を連れて、主が言われたとおりにおこなった。ただし彼は父の家族のもの、および町の人々を恐れたので、昼それを行うことができず、夜それを行った。
 6:28町の人々が朝早く起きて見ると、バアルの祭壇は打ちこわされ、そのかたわらのアシラ像は切り倒され、新たに築いた祭壇の上に、第二の雄牛がささげられてあった。 6:29そこで彼らは互に「これはだれのしわざか」と言って問い尋ねたすえ、「これはヨアシの子ギデオンのしわざだ」と言った。 6:30町の人々はヨアシに言った、「あなたのむすこを引き出して殺しなさい。彼はバアルの祭壇を打ちこわしそのかたわらにあったアシラ像を切り倒したのです」。 6:31しかしヨアシは自分に向かって立っているすべての者に言った、「あなたがたはバアルのために言い争うのですか。あるいは彼を弁護しようとなさるのですか。バアルのために言い争う者は、あすの朝までに殺されるでしょう。バアルがもし神であるならば、自分の祭壇が打ちこわされたのだから、彼みずから言い争うべきです」。 6:32そこでその日、「自分の祭壇が打ちこわされたのだから、バアルみずからその人と言い争うべきです」と言ったので、ギデオンはエルバアルと呼ばれた。 (士師記6:25−32)


 ギデオンがまず闘わねばならなかった相手は、外から襲ってくる敵ではなくて、内側に巣食っている偶像だった。しかもその偶像は自分の父親が管理して一族が拝んでいるアシラ像だった。主の力がギデオンとその民に注がれるためには、まず、主の前に内側をきよくする必要があった。
 これは相当の勇気が要ったことだった。蛮勇とも映る。しかし、これは彼の闇雲な正義感から出たことではなく、主から出たことであった。ギデオンの行動によって、彼の父は霊的に覚醒した。
 偶像問題に物分りが良いのが「おとなの」クリスチャンというふうに見られるのが、この多元主義の時代であるけれど、旧新約聖書を通じて、偶像に妥協して神の祝福を受けた例というのはひとつもない。