苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書で原発を考える(その4)原発マモンと偽りの数々

4 原発マモンと偽りの数々
(1)マモニズムの罠 
 「あなたの宝のある所には、心もあるからである。目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:21−24)
 主イエスは、私たちの心の目すなわち理性を曇らせてしまうものは、マモンつまり富・金銭だと断言された。拝金主義(マモニズム)という偶像崇拝である。マモニズムに陥ると人は目がくらんで、真実を見抜くことができなくなってしまう。パウロもまた、「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」(2テモテ6:10)という。
  古来、理性と信仰との関係について二通りの立場がある。ひとつは、テルトゥリアヌスのように理性と信仰は対立するのだという考え方であり、もうひとつはユスティノスのように理性と信仰は融和するものでありキリスト教こそ最高の哲学だという考え方である。近代理性は、神学のはした女として立場から自らを解放することを目指し、理性の自律をドグマとして来た。テルトゥリアヌスは信仰優位の立場で、信仰と理性を対立的に捉えたが、近代思想は理性優位の立場で、信仰と理性の対立を捉えた。
 しかし、コーネリウス・ヴァンティルは、「理性と信仰」という枠組みが誤りであるとする。そもそも理性というものは自律しているものではなく、ある信仰の価値観を前提として機能するものなのである。有神論者は有神論的価値のために理性を働かせ、無神論者は無神論的価値のために理性を働かせる。拝金主義者は、拝金主義的価値のために理性を働かせるものなのである。
 理性は本来、神を愛し隣人を愛するという目的のために、正しい認識を得るようにと与えられた賜物であるが、欲に目がくらんだ人は、その理性をウソをごまかすための屁理屈を組み立てるために活用するようになる。私たちは、今回の原発にからむ報道の中で、多くの大学教授たちがでたらめなことを言っていることに、衝撃を受けてしまった。とても残念なことだが、今年の流行語大賞は「想定外でした」か「御用学者」になってしまいそうな勢いである。

(2)原子力村の住民たち
 商用原発は、中曽根康弘正力松太郎が日本に持ち込んだものである。中曽根康弘原発を導入して、初代科学技術庁長官になっている。正力松太郎は、東条英機巣鴨プリズンで処刑された翌日、岸信介児玉誉士夫とともに釈放された。CIAは彼らを利用して戦後の日本をコントロールすることを目論んだ。岸は政治の世界で、正力はマスメディアと野球を通じて、そして児玉は闇の世界で戦後の日本をコントロールするというミッションをになうことになっていた。これはいわゆる陰謀論ではなく、米国で公開された公文書に明記されている事実である。http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/searchdiary?word=CIA
 今回、原発行政・原発経営について調べるうちに、これがどれほど利権と偽りに満ちているものかということに驚いてしまった。いわゆる原発村に属する人々とは、電力会社幹部だけでなく原発推進政治家・経済産業省官僚・文部科学省官僚・原発推進大学教授・評論家・タレント・TV局・新聞社・原発メーカー・原発を施工するゼネコン・原発立地自治体の有力者・反対派対策のヤクザたちである。果ては、この原発村には、原発差し止め訴訟で「原発は安全だ」と判決をくだした最高裁判事まで含まれている。詳細は、こちら「原子力発電のメリット」を参照→http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/searchdiary?word=%B8%B6%C8%AF%A4%CE%A5%E1%A5%EA%A5%C3%A5%C8

(3)原発にまつわるウソの数々
 原発の利権を守るために、原発にかんする教科書もCMも「原発は安全です」と言って来た。反原発の歌が「ずっとウソだった」というのは、的を射ている。

●「原発がなければ電気は足りない」というウソ
 このことを裏付ける資料の2つ紹介する。
『AERA』2011年4月11日号から抜粋
 日本の過去最高の電力需要は,2001年7月24日午後3時の1億8269万キロワットであって,その後,この記録は破られていない(当日の東京電力のほうは 6430万キロワットの需要に応じていた:こちらも東電での最高記録である)。
 これは意外にも,日本の電力需要は,こんどの巨大地震で火力も被害を受けた当面の東電管内を別とすれば,原子力を除く既存の火力と水力発電だけで,電力消費の過去最高を補ってもなお,若干ではあってもお釣りがくる数字となっている。これに一般メーカーなどの自家発電をくわえると,過去最高の需要を相当に上まわる潤沢さである。原子力が欠けると電力需給はもたないという,いつのまにか人びとの頭にこびりついてしまった通念は,統計数字をみるかぎり誤りである(63頁1−2段)。
 以上は,火力発電・水力発電に関して必要な定期点検・補修,また降雨量なども考慮に入れても妥当する議論である。最近まで火力発電では実際に供給能力の半分程度しか稼働していない。一番問題なのは,年間のある一時期の,それもほんのわずかな時間帯の需要の突出まで〔2001年7月24日の最高記録がその好例〕面倒をみるために,ほかの季節での無駄な遊休化を承知しつつ,原発を始め各種発電所の建設がつづけられてきた(63頁3−3段)。
 もう一つは東京新聞の記事。


●「原発は一番安価なエネルギーだ」というウソ
原発設置・発電のコスト 大島堅一氏(立命館大学国際関係学部教授)の文章の要約。
http://www.videonews.com/on-demand/521530/001844.php
 原発の商用利用が始まった1970年以降に原発にかかったコストの実績値を計算すれば、電力会社にとっては「原発は一番安い」が、利用者にとっては「原発は一番高い」。
 発電コストとしてよく電力会社が出す数値04年に電気事業者連合会が経産省の審議会に提出した資料では、1キロワット時あたり、水力(揚水発電を除く一般水力)は11.9円、石油10.7円、天然ガス6.2円、石炭5.7円、そして原子力は5.3円としている。これは、稼働率を80%に設定するなど、ある一定の条件を想定して計算した値だ。
 利用者の負担という観点で考える時に重要なのは、「見えないコスト」と「バックエンド費用」。ここでは前者のみ紹介。1970年〜2007年の約40年間について、実際に発電にかかったコストを、財政支出の国民負担についても合算すれば、1キロワット時あたりのコストは、原子力10.68円、火力9.90円、水力7.26円と、原子力はもっとも高い。
さらに、事故を起こした福島第一原発廃炉のコストは7兆4700億円と見積もられる。原発由来の電力はきわめて高くつくのである。さらに、事故の賠償金を本気で払うならば、東電を何度破産させても足りないほどに金がかかる。
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110509/106467/?P=1

●「M9の未曾有の地震だったから仕方ない」「想定外」というウソ
 今回の地震は岩手・宮城・福島沖のトラフが連動したという点で地震の規模がM9であったことは、日本においては未曾有であったといのうのは事実である。しかし、福島第一原発自体が受けた揺れ(400〜500ガル)と10メートルばかりの津波の規模は決して未曾有という大きさのものではない。安倍晋三内閣と東電が、コストを惜しんでなすべき備えをさせなかったから、津波災害は起きた。その責任逃れのためのウソである。

●「原発は地球環境にやさしい」というウソ
  また原発から排出される莫大な温排水。54基の原発から毎日捨てられる熱を合計すると、ほぼ1億キロワット=広島型原爆100発分の熱。なにが環境にやさしいものか。

●「福島第一原発の原子炉は揺れには耐えたが、津波でやられた」というウソ
 3月11日の地震直後、津波が来るまえに、福島第一原発の1号機の原子炉圧力容器に出入りする管のうち(おそらく再循環系)が破断し、そこから冷却材である水が噴出し、メルトダウンにいたった。そのため、12日午前2時45分1号機格納容器の圧力は急上昇して8.4気圧になっている。この点を田中三彦氏が事故直後から指摘していたが、東電は隠し続けて5月末になってようやく認めた。
 これは非常に大きな問題。政府は、原子炉は揺れには耐えられたという前提に立って、全国の原発津波対策・電源対策のみを求めて、それをクリアすれば再稼動許可すると言っている。しかし、現実は揺れだけで原子炉の中核部分が壊れた。この欠陥はすべての原発の共通点である。この事実を隠しておきたかったのは、恐らく4月半ばベトナムへの原発輸出の道筋をつけるためだった。

●「原発には将来性がある」というウソ
 化石燃料の埋蔵量の比較http://www.avionnet.info/wadai/110321.html
数字は1×10の16乗 k c a l のエネルギーに換算したもの。
高品位石炭・・・・・・6000  500
低品位石炭・・・・・・1700  260
オイルシェール・・・・・810   *
タールサンド・・・・・・240 *
石油・・・・・・・・・・294  150
天然ガス・・・・・・・・200  120(ただし近年、埋蔵量増加)
ウラン・・・・・・・・・110   20
 (出典「原子力と共存できるか」:小出裕章/足立明著、かもがわ出版1985年。)
 ウランを60倍に活用する高速増殖炉の夢は失敗に終わった。六ヶ所村は満杯で、使用済み核燃料の保管場所は、平均7.3年分しかない(広瀬隆「時限爆弾」p263)放射性廃棄物の保管には100万年監視。

●「ただちに健康被害はない」というウソ
 これはウソでないといえばウソではない。子どもたちの甲状腺がんは大量発生するのは4年後からであり、大人たちの白血病・ガンなどは10年以降であるから。

結論
 私たち人類はアダム以来、被造物の管理者としての分をわきまえることをせず、自律的理性・技術文明をもって、自ら神になろうとする傾向がある。国策としての原子力利用はその典型的な姿である。国策としての原子力利用には莫大な金銭が動くゆえに、多くの人々がその利権に目がくらんでしまい、政治家や業界やヤクザばかりでなく、学者・評論家たちまでもこれに巻き込まれ、電力会社を大口スポンサーとする新聞・テレビをはじめとするマスメディアが、「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」「原発がなければ生活できない」という偽りをもって国民をあざむいてきた。
 事故後の政府と電力会社と御用学者たちの発表も、なんとかして原発利権を守るために、事故を小さく見せようという意識が如実にあらわれていたが、事故が収束せずどんどん悪化して、ついにメルトダウンメルトスルー、さらにもっと悪い状況にあることが露見することになってしまった。
 「原発は危険きわまりなく不潔なエネルギー」なのであり、原発などなくても生活はできるのである。原発がなくなって生活が困るのは、その利権にしがみついて甘い汁を吸ってきた原発村の人々にお願いしたい。国民に迷惑をかけ国を滅ぼしてまで利権にしがみつくのは、いい加減やめていただきたい。