苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書で原発を考える(まとめて再録)

 昨年、2011年6月17日から20日、当ブログに掲載したものです。

1. 善悪の知識の木について

「 神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:15−17)
 聖書以外の古代社会において労働は苦役として卑しめられていた。ギリシャでもローマでも、労働は奴隷の仕事とされて、自由人にふさわしい営みは哲学・芸術・戦争であるとされた。労働をいやしむ価値観は、今日でもなお欧米の知識階級のなかには根強い。これは科挙の国、中国・韓国においても同じである。
 日本では、知識階級としての貴族による政治が実質上は早く終わって、鎌倉幕府以降、武士階級に政権が移ったせいであろうか、諸外国と比較すれば肉体を用いる労働が軽んじられることが少ない。とはいえ、もう一方で江戸時代には武士が町民たちの労働に携わることは恥ずべきこととされたので、浪人たちはひそかに傘貼りの内職などをして、「武士は食わねど高楊枝」をしていなければならなかったことを思えば、五十歩百歩かもしれない。
 こうした価値観を色めがねとして創世記を読む人は、「堕落する前は、アダムは働く必要などなく、木の実を食べて楽をして暮らしていた。だからエデンの園は楽園だ。」などという誤解をしていることが多い。しかし、創世記は、神は人間の堕落以前に、「エデンの園を耕させ、守らせた」と告げている。労働は、ほんらい、神が人にたまわった祝福ある命令なのである。これを神学では文化命令と呼ぶことがある。
 園の所有者は誰か? 万物を創造した神である。人は、創造主から託された園を世話する管理人である。管理人は園の所有者の意向に沿って、これを管理しなければならない。管理人にとって肝心なことは、自らの分をわきまえる「慎み」である。その管理の務めが、「園を耕し、これを守る」ことだった。
 
 禁断の「善悪の知識の木」は神の人に対する権威のシンボルである。人は善悪を決定する権威をもってはおらず、神が善悪をお定めになる権威をもっていらっしゃる。人は神が定めた善悪の枠のなかで、その生を営むことが許されていて、その枠を超えるときには「死」すなわち神との断絶という実を刈り取ることになる。
 悪魔は、善悪の知識の木から取って食べれば、あなたは神のようになれると誘惑した。神の指図など受けず、善悪を自分で決めて生きていけるのだと言ったのである。そして実際、最初の夫婦は、善悪の知識の木の実を取って食べてしまった。これは自らの園の管理者としての分をわきまえずに主人のようになろうとしたことであり、人としての分をわきまえず神のようになろうとしたことであった。
 人は人としての分を越えてはならない。筆者は、原子力利用と遺伝子組み換え技術は、この「分を越えること」にあたると直感する。それは直感なので、完全に説明することはできないが、要するに、被造物の分際でありながら、創造主の設計に対してケチをつけ、踏みつけにしているのが原子力利用と遺伝子組み換えではないかということである。それは「耕し、守る」という枠を越えてしまっているのではないかということである。原子力利用は自然界にもともと存在しないセシウムストロンチウムプルトニウムといった放射性物質を作り出し、遺伝子組み換え技術は自然界にもともと存在しない生物を作り出してしまう。
 信州には別荘があちこちにあるが、別荘の管理人は、別荘の主人の意向に沿って、これを管理することが求められている。もし管理人がこの別荘は自分の趣味にあわないといって、勝手に改造をしたり、建替えたりしたら、主人の怒りを買うかクビにされるかするだろう。
 同じように、被造物の管理人には、被造物を「耕し、守る」ことが求められているけれども、被造物を勝手に改造して、破壊してしまうことは許されていない。もし、そういうことをするならば、人は恐ろしいしっぺ返しを受けることになる。事実、今、私たちは福島の原発事故において、そのしっぺ返しを受けている。筆者の観測では、遺伝子組み換えもまた人が制御できない病原菌などを作り出すことによって、いつか恐るべきバイオハザードをもたらすだろう。
 人間にはふたつの限界がある。ひとつは人間が無限な神ではなく有限な被造物にすぎないという、存在論的限界である。もう一つは、アダムの堕落以来、その有限な人間には罪が入ってきたことゆえの倫理的限界である。
 今回の福島第一原発の事故は、原発は揺れには耐えたが津波によって電源を喪失して破綻したという半分虚偽の宣伝が行なわれている。事実は、津波が来る前に、原子炉のもっとも肝心な部分が400ガルないし500ガル程度の揺れで破壊されていた。
 その破損箇所は、原子炉圧力容器につながる再循環系のパイプであろうと指摘される。再循環系のパイプには、数十トンもあるポンプが宙吊りになっていて、これが地震で激しく揺れてパイプの溶接部分が損傷し、そこから圧力容器の冷却水が噴き出したために、燃料棒が露出して、メルトダウンにいたったということである。この弱点はすべての原子炉に共通する弱点であることは、以前から反原発派によって指摘されていた。
 原発の配管は実に全長80キロメートルに及び、溶接箇所は25000箇所におよぶという。ミスゼロでこれを溶接することができるだろうか。また、いったん出来上がっても、高圧の熱水によってたえす劣化してゆく配管を保守点検するのは、人間の手作業である。作業員たちは数十年にわたって、生命を脅かす放射能の恐怖のなかでこれらを、ただの一箇所のまちがいも手抜きもなく保守点検していかねばならない。これは人間のふたつの限界を越えた作業である。
 武田邦彦氏は、かつて「原発は技術としては安全だが、原発を造る人間、原発を管理する人間が立派ではないから、原発は危険である。」と述べていた。私たちは、人間が無限の神でなく有限な被造物にすぎず、主人ではなく管理人であり、しかも、ひとたび神にそむいて以来、管理人の本性には自分勝手な罪というやっかいなものが入り込んでいるという現実をわきまえなければならない。この「人間は立派ではない」という現実をわきまえるなら、原発利用は人間には不可能であることはあきらかであろう。

2.都市と文明・・・その創始者はカイン

(1)都市
「それで、カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。」(創世記4:16.17)
 カインはアダムとエバの子どもであり、彼はねたみのゆえに弟を殺害した史上最初の殺人者である。カインは神の御顔を避けてエデンの東、ノデの地に住み着いた。ノデというのは、放浪という意味である。放浪の地に住み着くというのは、不思議な表現であるが、神に背を向けた者にとっては、どこに住もうと落ち着くことはできないということが暗示されている。
 さて、カインは町を建てた。ジャック・エリュールは「都市の歴史がカインによって始まるということは、数多ある些末事のひとつとみなすべきではないのだ。」と指摘している(『都市の意味』p29)。都市は、カインによって建てられたことに始まり、後にはバベルの塔の事件で神のさばきを受けている。さらには、創世記は不道徳なソドムとゴモラという都市が神の裁きとして、戦乱によって苦しみを受け、最後には天変地異によって滅ぼされたことを記している。さらに、聖書に出現するもろもろの都市の運命をたどっていくならば、それらは戦乱や災害で滅びていく。
 そうした神に反抗する諸都市の始まりがカインが放浪の地に築いた町であった。カインにおいて、都市は神なき人生の偽りの安住の空間である。聖書において、都市は単なる人とものの集合体ではない。それは、なにか神に敵する霊的な力なのである。


(2)文明
 「エノクにはイラデが生まれた。イラデにはメフヤエルが生まれ、メフヤエルにはメトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクが生まれた。レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。
   さて、レメクはその妻たちに言った。
  「アダとツィラよ。私の声を聞け。
  レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。
  私の受けた傷のためには、ひとりの人を、
  私の受けた打ち傷のためには、
  ひとりの若者を殺した。
   カインに七倍の復讐があれば、
  レメクには七十七倍。」」(創世記4:19―24)
「アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。『カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。』セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は【主】の御名によって祈ることを始めた。」(創世記4:25,26)
 さて、カインがアベルを殺した後、神は悲嘆に暮れるアダムとエバに、アベルに代わる敬虔な子セツをお与えになった。こうして人類の歴史は、神に反逆するカイン族と、神を畏れるセツ族の系譜に二分されてゆく。
 注目すべきことは、もろもろの文明的な華々しい知恵が神を畏れて祈るセツ族ではなく、神に背を向けたカイン族の中から出てきたという記述である。神の慰めを持たないカイン族は音楽を工夫することによって自らを慰め、神の養いを信じられないカイン族は生活の安定のために家畜を飼うことを始め、神の守りを信じられないカイン族は鉄と青銅の武器を工夫したということを意味するのであろう。牧畜も、音楽も、冶金業も後に神の民も採用するところとなるのだから、これらの文明的なるものそれ自体が罪深いものだと聖書が述べているわけではない。だが、その発端がカイン族にあったことがあえて啓示されていることの意味を読み取る必要がある。カイン族にとっては、都市と文明的なるものは、神に代わって彼らに安心・安全を与えるものだったのである。つまり、カイン族にとって、これらは偶像的な位置を占めていた。
 カイン族の中から最初の一夫多妻主義者レメクが登場し、彼はまた自らの強烈な暴力を妻たちに自慢している。一夫多妻という現象は、ほんらい結婚は神のかたちに造られた男と女の全人格的な出会いを、男と女がたがいに相手を自分の欲求の達成のための道具に変えてしまったことのあからさまな表れである。男は女に性欲のはけ口を求め、女は男に虚栄に満ちた生活の経済的基盤を求める。そこに支配的な原理は「力への意思」である。対象を踏みしだき自分の欲求達成の道具とすることをよしとする力への意思が、都市文明の根本にある。
 他方、堕落前に与えられた文化命令は、「園を耕し、守れ」というものだった。「耕す(アバド)」とは、「しもべ(エベド)」と同根のことばであるから、「仕える、世話をする」とも訳しえる。被造物の世話をして生かし、これを守ることが文化命令である。こういう意味で、筆者は文化cultureと文明civilizationを、その根本精神のありようによって区別すべきであると思う。文化は神を愛し隣人を愛し被造物をいつくしむという精神の表現であり、文明は神に反抗し隣人と被造物を己の欲求のために利用するという精神の表現である。
 核兵器原子力利用は、文明的なるものの典型的な表現と思われてならない。核兵器は、神の創造の基本的なプランを壊すことによって自らも制御できないエネルギーを取り出して、莫大な数の敵を殺害する。原子力発電の維持運営のためには、名もない労働者たちを生命の危険にさらさなければならない。
(ちなみに、筆者は、昨日、信州で集めたお米で野宿者支援をしている兄弟から、新宿の手配師たちは「一日40万円」で借金を抱えて生活に困窮した労働者の命を買って福島の原発に送り込んでいるという話を聞いた。一日40万円とは、生命の値だろう。一日作業したら、もう線量の限界に達してしまうような猛烈な被曝環境なのである。しかも、もっとも線量の高い場所での作業にあたる労働者は、第5次、第6次下請けなので、中間搾取がはなはだしく、実際に受け取ることができるのは、1割ほどだという。)


3 バベルの塔・・・国家権力と原発

 創世記10章には、大洪水の後にひろがった諸民族の系図が記されていて、12章にはバベルの塔で諸民族が生じて各地に分かれ住むようになった原因譚が記されている。
 11章8節には注目すべき名ニムロデが記されている。
「クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから『主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし』ということわざが起った。彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。彼はその地からアッスリヤに出て、ニネベ、レホボテイリ、カラ、 およびニネベとカラとの間にある大いなる町レセンを建てた。」(創世記10:8−12)
 ニムロデは地上で最初の権力者であり、シナルの地を拠点として、次々に都市を築き、さらに版図を拡げていった。権力者は剣でもって国家を組織する。12章に出てくるバベルの巨大な塔は、その国家権力の誇りの象徴であり、神像であった。権力者は、軍備と富と文明の技術をもって自らを飾り、侵略して版図を拡げ、民の上に君臨する。権力者の傲慢は、「天」という神の領域までも侵そうと考えたほどであった。
「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。 (創世記12:4)
 善悪の知識の木から実を取って食べ、神の自分に対する主権を拒否して自律を信じたアダムとエバ、兄弟を殺して神に背を向けて去り町を築き文明の利器をもって自らを慰めたカイン以来の反逆の精神は、国家権力というかたちできわまった。バベルの塔は軍備と文明と富を手中にした国家権力の自己神格化の表現である。
 岸信介中曽根康弘福田赳夫安倍晋三たち、声高に愛国心を言い立ててきた国家権力者たちが、原発を推進した人々であったことに多くの人は気付いているだろう。しかもCIAのエージェントであった岸をはじめとして、彼らは親米愛国というスタンスであった。岸の孫にあたる安倍晋三は、今回の福島第一原発の破綻の多くの責任を直接的な意味で負っている政治家であるが、この事態を受けてなお、「地下原発」推進を唱えている。(岸信介児玉誉士夫正力松太郎がCIAのエージェントであった事実については、こちらを参照されよ→http://blog.goo.ne.jp/ucandoittaku/e/3723ccfc022eacaf4ee809188f2c32e6
 原発は、本来核兵器の材料を作り出す道具なのである。安倍晋三内閣官房副長官当時の2002年5月13日に早稲田大学で行われた講演で、「日本は非核三原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介)総理答弁で違憲ではない、と言う答弁がされています。」と述べている(サンデー毎日2002.6.9)。岸は、原発について、わが国が潜在的核兵器保有国であるために必要であるという趣旨のことも述べている。中曽根康弘は佐藤内閣の科学技術庁長官時代に、核武装の研究をさせていたと2007年2月号『正論』で振り返っている(http://seiron.iza.ne.jp/blog/entry/92187/)。このように原発は、核武装をもくろむ人々によって国策として推進されてきた。
 国家権力の強大さを誇るためのバベルの塔は、神の介入によって建設は中止されて砂漠の中に崩れ去っていった。「安全神話」のベールで飾られていた原発は、そのベールを剥ぎ取られて、それが核兵器の材料製造機であったという由来を露わにし牙をむき出してしまった。


 
4 原発マモンと偽りの数々

(1)マモニズムの罠 
 「あなたの宝のある所には、心もあるからである。目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:21−24)
 主イエスは、私たちの心の目すなわち理性を曇らせてしまうものは、マモンつまり富・金銭だと断言された。拝金主義(マモニズム)という偶像崇拝である。マモニズムに陥ると人は目がくらんで、真実を見抜くことができなくなってしまう。パウロもまた、「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」(2テモテ6:10)という。
  古来、理性と信仰との関係について二通りの立場がある。ひとつは、テルトゥリアヌスのように理性と信仰は対立するのだという考え方であり、もうひとつはユスティノスのように理性と信仰は融和するものでありキリスト教こそ最高の哲学だという考え方である。近代理性は、神学のはした女として立場から自らを解放することを目指し、理性の自律をドグマとして来た。テルトゥリアヌスは信仰優位の立場で、信仰と理性を対立的に捉えたが、近代思想は理性優位の立場で、信仰と理性の対立を捉えた。
 しかし、コーネリウス・ヴァンティルは、「理性と信仰」という枠組みが誤りであるとする。そもそも理性というものは自律しているものではなく、ある信仰の価値観を前提として機能するものなのである。有神論者は有神論的価値のために理性を働かせ、無神論者は無神論的価値のために理性を働かせる。拝金主義者は、拝金主義的価値のために理性を働かせるものなのである。
 理性は本来、神を愛し隣人を愛するという目的のために、正しい認識を得るようにと与えられた賜物であるが、欲に目がくらんだ人は、その理性をウソをごまかすための屁理屈を組み立てるために活用するようになる。私たちは、今回の原発にからむ報道の中で、多くの大学教授たちがでたらめなことを言っていることに、衝撃を受けてしまった。とても残念なことだが、今年の流行語大賞は「想定外でした」か「御用学者」になってしまいそうな勢いである。


(2)原子力村の住民たち
 商用原発は、中曽根康弘正力松太郎が日本に持ち込んだものである。中曽根康弘原発を導入して、初代科学技術庁長官になっている。正力松太郎は、東条英機巣鴨プリズンで処刑された翌日、岸信介児玉誉士夫とともに釈放された。CIAは彼らを利用して戦後の日本をコントロールすることを目論んだ。岸は政治の世界で、正力はマスメディアと野球を通じて、そして児玉は闇の世界で戦後の日本をコントロールするというミッションをになうことになっていた。これはいわゆる陰謀論ではなく、米国で公開された公文書に明記されている事実である。http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/searchdiary?word=CIA
 今回、原発行政・原発経営について調べるうちに、これがどれほど利権と偽りに満ちているものかということに驚いてしまった。いわゆる原発村に属する人々とは、電力会社幹部だけでなく原発推進政治家・経済産業省官僚・文部科学省官僚・原発推進大学教授・評論家・タレント・TV局・新聞社・原発メーカー・原発を施工するゼネコン・原発立地自治体の有力者・反対派対策のヤクザたちである。果ては、この原発村には、原発差し止め訴訟で「原発は安全だ」と判決をくだした最高裁判事まで含まれている。詳細は、こちら「原子力発電のメリット」を参照→http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/searchdiary?word=%B8%B6%C8%AF%A4%CE%A5%E1%A5%EA%A5%C3%A5%C8

(3)原発にまつわるウソの数々
 原発の利権を守るために、原発にかんする教科書もCMも「原発は安全です」と言って来た。反原発の歌が「ずっとウソだった」というのは、的を射ている。
●「原発がなければ電気は足りない」というウソ
 このことを裏付ける資料の2つ紹介する。
『AERA』2011年4月11日号から抜粋
 日本の過去最高の電力需要は,2001年7月24日午後3時の1億8269万キロワットであって,その後,この記録は破られていない(当日の東京電力のほうは 6430万キロワットの需要に応じていた:こちらも東電での最高記録である)。
 これは意外にも,日本の電力需要は,こんどの巨大地震で火力も被害を受けた当面の東電管内を別とすれば,原子力を除く既存の火力と水力発電だけで,電力消費の過去最高を補ってもなお,若干ではあってもお釣りがくる数字となっている。これに一般メーカーなどの自家発電をくわえると,過去最高の需要を相当に上まわる潤沢さである。原子力が欠けると電力需給はもたないという,いつのまにか人びとの頭にこびりついてしまった通念は,統計数字をみるかぎり誤りである(63頁1−2段)。
 以上は,火力発電・水力発電に関して必要な定期点検・補修,また降雨量なども考慮に入れても妥当する議論である。最近まで火力発電では実際に供給能力の半分程度しか稼働していない。一番問題なのは,年間のある一時期の,それもほんのわずかな時間帯の需要の突出まで〔2001年7月24日の最高記録がその好例〕面倒をみるために,ほかの季節での無駄な遊休化を承知しつつ,原発を始め各種発電所の建設がつづけられてきた(63頁3−3段)。
 もう一つは東京新聞の記事。

●「原発は一番安価なエネルギーだ」というウソ
原発設置・発電のコスト 大島堅一氏(立命館大学国際関係学部教授)の文章の要約。
http://www.videonews.com/on-demand/521530/001844.php
 原発の商用利用が始まった1970年以降に原発にかかったコストの実績値を計算すれば、電力会社にとっては「原発は一番安い」が、利用者にとっては「原発は一番高い」。
 発電コストとしてよく電力会社が出す数値04年に電気事業者連合会が経産省の審議会に提出した資料では、1キロワット時あたり、水力(揚水発電を除く一般水力)は11.9円、石油10.7円、天然ガス6.2円、石炭5.7円、そして原子力は5.3円としている。これは、稼働率を80%に設定するなど、ある一定の条件を想定して計算した値だ。
 利用者の負担という観点で考える時に重要なのは、「見えないコスト」と「バックエンド費用」。ここでは前者のみ紹介。1970年〜2007年の約40年間について、実際に発電にかかったコストを、財政支出の国民負担についても合算すれば、1キロワット時あたりのコストは、原子力10.68円、火力9.90円、水力7.26円と、原子力はもっとも高い。
さらに、事故を起こした福島第一原発廃炉のコストは7兆4700億円と見積もられる。原発由来の電力はきわめて高くつくのである。さらに、事故の賠償金を本気で払うならば、東電を何度破産させても足りないほどに金がかかる。
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110509/106467/?P=1
●「M9の未曾有の地震だったから仕方ない」「想定外」というウソ
 今回の地震は岩手・宮城・福島沖のトラフが連動したという点で地震の規模がM9であったことは、日本においては未曾有であったといのうのは事実である。しかし、福島第一原発自体が受けた揺れ(400〜500ガル)と10メートルばかりの津波の規模は決して未曾有という大きさのものではない。安倍晋三内閣と東電が、コストを惜しんでなすべき備えをさせなかったから、津波災害は起きた。その責任逃れのためのウソである。
●「原発は地球環境にやさしい」というウソ
  また原発から排出される莫大な温排水。54基の原発から毎日捨てられる熱を合計すると、ほぼ1億キロワット=広島型原爆100発分の熱。なにが環境にやさしいものか。
●「福島第一原発の原子炉は揺れには耐えたが、津波でやられた」というウソ
 3月11日の地震直後、津波が来るまえに、福島第一原発の1号機の原子炉圧力容器に出入りする管のうち(おそらく再循環系)が破断し、そこから冷却材である水が噴出し、メルトダウンにいたった。そのため、12日午前2時45分1号機格納容器の圧力は急上昇して8.4気圧になっている。この点を田中三彦氏が事故直後から指摘していたが、東電は隠し続けて5月末になってようやく認めた。
 これは非常に大きな問題。政府は、原子炉は揺れには耐えられたという前提に立って、全国の原発津波対策・電源対策のみを求めて、それをクリアすれば再稼動許可すると言っている。しかし、現実は揺れだけで原子炉の中核部分が壊れた。この欠陥はすべての原発の共通点である。この事実を隠しておきたかったのは、恐らく4月半ばベトナムへの原発輸出の道筋をつけるためだった。
●「原発には将来性がある」というウソ
 化石燃料の埋蔵量の比較http://www.avionnet.info/wadai/110321.html
数字は1×10の16乗 k c a l のエネルギーに換算したもの。
高品位石炭・・・・・・6000  500
低品位石炭・・・・・・1700  260
オイルシェール・・・・・810   *
タールサンド・・・・・・240 *
石油・・・・・・・・・・294  150
天然ガス・・・・・・・・200  120(ただし近年、埋蔵量増加)
ウラン・・・・・・・・・110   20
 (出典「原子力と共存できるか」:小出裕章/足立明著、かもがわ出版1985年。)
 ウランを60倍に活用する高速増殖炉の夢は失敗に終わった。六ヶ所村は満杯で、使用済み核燃料の保管場所は、平均7.3年分しかない(広瀬隆「時限爆弾」p263)放射性廃棄物の保管には100万年監視。
●「ただちに健康被害はない」というウソ
 これはウソでないといえばウソではない。子どもたちの甲状腺がんは大量発生するのは4年後からであり、大人たちの白血病・ガンなどは10年以降であるから。


結論
 私たち人類はアダム以来、被造物の管理者としての分をわきまえることをせず、自律的理性・技術文明をもって、自ら神になろうとする傾向がある。国策としての原子力利用はその典型的な姿である。国策としての原子力利用には莫大な金銭が動くゆえに、多くの人々がその利権に目がくらんでしまい、政治家や業界やヤクザばかりでなく、学者・評論家たちまでもこれに巻き込まれ、電力会社を大口スポンサーとする新聞・テレビをはじめとするマスメディアが、「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」「原発がなければ生活できない」という偽りをもって国民をあざむいてきた。
 事故後の政府と電力会社と御用学者たちの発表も、なんとかして原発利権を守るために、事故を小さく見せようという意識が如実にあらわれていたが、事故が収束せずどんどん悪化して、ついに隠し切れなくなり、メルトダウンメルトスルー、さらにもっと悪い状況にあることが露見することになってしまった。
 「原発は危険きわまりなく不潔なエネルギー」なのであり、原発などなくても生活はできるのである。原発がなくなって生活が困るのは、その利権にしがみついて甘い汁を吸ってきた原発村の人々にお願いしたい。国民に迷惑をかけ国を滅ぼしてまで利権にしがみつくのは、いい加減やめていただきたい。

追記2012年8月18日>
 原発マネー依存症に陥った学者たちは、こうした事態に陥ってもなお原発マネーをもらい続けてやめることができない。その寄付なしには研究も生活も成り立たなくなっているのだろう。下の記事に出てくる関村直人教授は、311で起きた福島原発事故の後、ずっとNHKメルトダウンしていないとデマ宣伝し続けていた人物。

原発事故後も延べ24人に寄付 電気事業連合会の関係企業
2012年8月18日 21時35分
 全国市民オンブズマン連絡会議は18日、全国14道県の原子力関係の審議会で学識経験者として委員になっている延べ265人のうち、東京電力福島第1原発事故後の2011年度に延べ24人が、電気事業連合会の関係企業から研究費などの寄付を受けていたとの中間調査報告を発表した。
 14道県は原発が立地する13道県と立地計画のある山口県。10年度にも延べ21人が寄付を受けていた。茨城県原子力安全対策委員だった東京大学大学院の関村直人教授は、10年度に三菱重工業などから約4200万円を受け取っていた。
 同会議は情報公開請求の手法で調査。11月には最終報告を行う予定。
共同通信

こちらも・・・
http://www.insightnow.jp/article/6430