苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

その実が残るために

使徒14:19―28
2010年7月11日 小海主日礼拝

    ルステラ遺跡mochurch.hp.infoseek.co.jp/repor..._03.html
1.たとえ石打にされても

 ルステラのゼウス神殿の前での伝道集会が大騒ぎのなかで終わった頃、先に訪ねたピシデヤのアンテオケと、イコニオムからユダヤ教指導者たちが、パウロバルナバを追ってやってきました。逃がしはしない。石打にしてやるというのです。
イコニオムでパウロバルナバは、ユダヤ教の会堂で、イエスが待望されたメシヤであることを伝えました。その結果、この地に寄留するユダヤ人とギリシャ人とがたくさんイエス様を信じるようになったのです(14:1)。けれども、みことばが語られるとき、人々は二つに分けられていきました。信じようとしないユダヤ人たちは、パウロバルナバについて悪評を異邦人たちに聞かせました。パウロバルナバエルサレムにある神殿からは認められていない偽教師であるというのです。「十字架のことばは滅びにいたる人々には愚か」なことばです。イエスは救い主としてこの世に来られましたが、悔い改めない人々にとってイエスはつまずきの石です。
 「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。」(ヨハネ3:17-20)ということです。そのうち、光を憎む人々は、光を消してしまおうということで、ついにイエス・キリストを十字架にかけて殺してしまったのです。
 キリストの福音が正しく語られるところでは、このような現象が起きるものなのでした。しかも、皮肉なことですが、キリストを最も激しく拒んで攻撃したのは当時のユダヤの社会の中では正しいはずの人々でした。キリストの福音を宣べ伝えて行った使徒たちも、同じ経験をしてゆきます。このイコニオムにおけるパウロバルナバもそうです。

 ルステラのゼウス神殿の前での伝道活動では、パウロバルナバは神々として祭り上げられるという大騒ぎがありました。ところが、先に伝道をしたピシデヤのアンテオケとイコニオムの反対派のユダヤ人たちが執念深く追いかけてきたのです。イコニオムでは、パウロたちはユダヤ人たちがパウロバルナバを石打にしようと画策していることをキャッチして、そこから難を逃れてきていたのです(14:5,6)。
 彼らは、今回の記事に、「群衆を抱き込」んだとあります。ルステラでは、あの生まれながらの足なえの癒しという奇跡が行なわれたことによって、大規模な回心が起こったかに見えましたが、群衆はたちまちパウロに対して敵意を抱くようになりました。いったいユダヤ人たちは何を言ったのか?想像するほかありませんが、エペソなど他の地域で起こったことを参考に推論すれば、おそらく「パウロの伝道を許しておけば、ユダヤ人の信仰のみならず、ルステラの守護神ゼウスへの信仰も覆されてしまいます。そうすればこの町にゼウスと神々の災いが下りましょう。」とでも言ったのでしょう。ひとたびパウロバルナバをヘルメスさまだ、ゼウス様だと騒いだ群衆は豹変して、彼らを迫害するのです。
パウロが標的にされ石打にされたのは、パウロがいつも説教をする係りであり、目立っていたからでしょう。あのおしゃべりを黙らせよ、殺せということになったのです。 またユダヤ教当局にとっては、特に、パウロパリサイ派から見れば裏切り者でした。
 彼らはパウロを石打にします。石打の刑について、穴に落としこんで上から石・岩を投げつけるとか、腰まで土に埋めて石を投げつけるとかいいますが、当時の方法はよくはわかりません。とにかく群衆はパウロに向かって石を投げつけますと、パウロは町の広場で石で打たれて血みどろになって意識を失ってしまいました。それで人々はパウロが死んだと思って、町の外に引きずり出しました。おそらく死刑囚の死体を捨てる場所に捨てたのです。
 「 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。」(14:19)

 バルナバと、この地でパウロを通して主イエスを信じるようになった人々は、パウロが死んでしまったと涙に暮れました。ところが、不思議、パウロはぱっちり目を開き、むくっと起き上がり、立ち上がったのです。「 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。」(14:20)さらっと書いてあるところが不思議です。まあパウロはなんと不死身ですね。しかも、また町に入っていったのです。うーむ、なんたる伝道者魂!あたりまえといえば、あたりまえですが、献身者とは文字通り主にいのちをささげた者なのでありました。しかし、伝道者魂があれば死なないわけではありません。ここには神様の直接的介入、つまり奇跡を見るべきでしょう。

2.「その実が残るために」

 パウロが今回の小アジア半島における第一回伝道旅行の仕上げとしたことについて、見ておきましょう。まず、パウロバルナバは、自分たちが巡回して福音を宣べ伝えた三つの町に引き返しました。ただ種をまいたら蒔きっぱなしにするのではなく、その後のフォローをしているわけです。21節から23節です。
「 彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。」(14:21,22)己の罪を認めて主イエスを信じた人々が、まちがいなく御国に入るときまで信仰をまっとうするようにと励ましたのです。キリストを信じる信仰は、最後のときまで保ち続けなければ意味がありません。「死にいたるまで忠実であれ!」です。信仰を生涯まっとうすること、それはたやすいことではありません。いのちがけのことと覚悟せよとパウロは誠実に語るのです。石打にあって満身創痍のパウロが「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」ということばは、ほんとうに説得力があります。イエス様を信じて洗礼を受けたならば、あとはのんきに春の野道を散歩するようにして天国まで行けるというわけではない、多くの苦しみを経なければならないのだとはっきりとパウロは告げるのです。
 私たちが主イエスを信じるのは、楽をするためではありません。たしかにイエス様を信頼すればするほど、さまざまな世の思いわずらいから解放され、真の生きる喜びを経験するようになります。けれども、それはお気楽な生活ができるということではありません。それでもなぜ私たちはキリストを信じ続けるのか?それは、これが真理であるからです。キリスト者の生活とは、福音のために、キリストのために、苦しみを選び取っていく生き方でもあるのです。私たちは、キリストを信じることによって、この世にはない喜びを与えられるとともに、キリストのための苦難をもたまわったのです。
 主イエスと同じように、パウロは、クリスチャン生活は何の苦労もなく、楽しいことばかりですよなどと、あまっちょろいことを言って新しく生まれた信者たちをだますことはしませんでした。むしろ、しっかりと、キリストを信じる者として受けなければならない苦難というものについて誠実に伝えたのです。

第二に、パウロは「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだね」(14:23)ました。長老たちというのは、それぞれの群れの指導者、牧師・役員たちのことを意味しています。つまり、パウロは種をただまいただけでなく、キリストを信じた人々の組織つまり教会を作ったのです。教会のリーダーが長老たちです。
 キリスト者は神の前に一人ぼっちではありません。キリスト者になるということは、神の家族・神の民の一員となることを意味しているのです。また教会は、キリストのからだと呼ばれます。キリスト者ひとりひとりは、キリストのからだの各器官です。ある人は目であったり、ある人は口であったり、ある人は手であり、ある人は足であったり・・・・さまざまな器官が助け合ってひとつのからだが生きていることができます。                       
 主イエスは「行って、あなたがたが実を結び、その実が残るために」とおっしゃいました。伝道をして人々を救いに導くと同時に、救われた人々をちゃんとキリストの弟子として訓練し、かつ、教会員のメンバーとしてちゃんと接木することをしたのです。その実が残るためです。
 要するに、伝道と教会形成(弟子化)が、パウロバルナバが実践したことです。そして、これは主イエスが天に戻られる直前にお与えになった、大宣教命令の二つのポイントなのです。伝道(福音の種まき)と教会形成です。

第三に、帰還・報告です。こうして、バルナバパウロはシリアのアンテオケに向かって帰途に着きます。「ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。」(14:24-27)
 シリヤのアンテオケ教会に到着したバルナバパウロは「教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告し」ました。アンテオケ教会を出発するとき、アンテオケの監督たちはバルナバパウロに手を置いてお祈りをしました。派遣されるバルナバパウロは私たちアンテオケの群れと一心同体なのですよ、という表現でしたね。パウロバルナバは、彼らの足となってキプロス小アジアの町々を訪れ、彼らの目となってその地の人々を見て、彼らの口となって彼らに福音を伝えたのです。当然、パウロバルナバはかの地の宣教報告をしたのです。
 宣教師にとって、派遣された宣教地における働きと同時にたいせつなことは、自分を派遣して支えてくれた人々と教会に対して宣教報告をすることです。また私たち教会としては、宣教師からの宣教報告を聞き、祈りを具体化し、さらに力強く支えることが大事なのです。

むすび
 福音宣教はいのちがけです。そして、その宣教はすべての人への福音の伝達と、悔い改めた人々の弟子化・教会形成です。私たち自身、この地で宣教に励むとともに、遠く派遣された宣教師をささえることのたいせつさを学びました。