苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

信州味噌


   (赤ジャガイモの花)


 朝五時、小学校への道を散歩をすると途中の大豆畑で、草取りをするにいつさんのおばあちゃんに会う。見た所一反(300坪)に少し欠けたサイズの畑である。一つの家が枝豆として食べるには多すぎる。「こんなにたくさんの大豆をつくってどうするんですか?」と聞いたら、味噌屋に売って自家用と嫁に行った子どもたちの家の味噌と醤油と交換するのだそうだ。味噌屋には、それぞれ秘伝の麹と、味噌部屋とノウハウがある。
 味噌屋の仕事は、もともと家事の延長である。かつて信州の家庭では、それぞれ自分で味噌作りをしたものだった。それが手前味噌。筆者も、二度ほど地元の親しい人たち数人と子どもから大人までいっしょに味噌作りをいっしょにしたことがある。大鍋で大豆をふやかし、機械で砕き、これを麹と混ぜ合わせる。テーブルを囲んでその周りをぐるぐる回りながらする、その混ぜ合わせの作業が子どもの泥遊びみたいな乗りでおもしろかった。あとはたるに詰めて麹にまかせる。必要なのは一年、二年という時間。
 「おいとの味噌は特別うめえな。豆を渡すから、おらとの分も造っとくれ。」ということで、味噌作りを引き受ける名人の家が、やがてそれぞれの村や町の味噌屋になって行った。山国の信州は蛋白源に乏しい分、大豆食品が発達したわけである。麹をたっぷり使った信州味噌は、日本の味噌市場の四割を占めているそうである。マルコメ、ハナマルキ、神州一味噌といった大手の味噌屋はみな信州みそである。
 ただし、ほんとうにうまい味噌は、お客が持って来た大豆と交換して造る家内制手工業の味噌屋の味噌だから、今でも大豆をつくる手間を惜しまない人は、そういう味噌屋に自家用を造ってもらっている。化学調味料や防腐剤でごまかさず、よい豆とよい塩だけを使い、しっかり麹に働いてもらって、熟成するまでに一年、二年と十分時間をかける。およそいのちのある本物を育てるには、こういう手間と時間が必要なのである。
 「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」(マルコ4:26-29)