苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自由と喜び――キリストのゆえに喜ぶ

ピリピ1:12−20
2011年7月17日 小海キリスト教

1.キリストの福音の前進のゆえに喜ぶ

 パウロは、キリストの福音のゆえに今ローマにおいて囚人となっています。ピリピ教会の兄弟姉妹は、初代キリスト教会のもっとも著名な宣教師である使徒パウロが囚人となってしまったという出来事のせいで伝道がむずかしくなるのだろうなあと悲観的な展望を抱いていたのでしょう。それを伝え聞いたパウロは、このことについて、いやいや自分が囚人となったことは、逆の結果を生んでいる、かえって福音が前進していますよ、と語ります。
「1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」
 パウロが囚人になってしまったことが、いったいどのような意味で福音の前進に役立ったというのでしょうか。ひとつには、ローマ皇帝のそば近く仕えている親衛隊(近衛兵)たちにキリストの福音をパウロがあかししたことによります。
「1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり(直訳:私の縄目はキリストにあってen christoあきらかになり)」
 親衛隊の人々がパウロが軟禁されていた住まいの番兵として立ったのでしょう。彼らは当然パウロを護送してきた百人隊長からパウロのうわさを聞いていたでしょう。
「彼は只者ではなく、その語ることばには神からの力がある。パウロのおかげで、船が難破したときにもわれわれは一人も欠けることなく助かったのだ」
と聞かされて、人々は親衛隊の人々はパウロに耳を傾けました。パウロはその機会を逃さず、彼らにイエスさまの十字架と復活の福音をあかししました。皇帝の親衛隊というような人々は、パウロが囚人にならなければ、出会うことができなかった人々です。福音はこうして前進しました。
 囚人になってしまって何にもできないと考えるのが普通かもしれません。しかし、パウロはそうは考えませんでした。囚人なればこそ、できることがあると考えて、彼が接することのできる皇帝の親衛隊の兵士たちに福音をあかししたのです。

2.ますます大胆に伝道する人々

 パウロが囚人となったことが、福音の前進に役立ったという第二のことは、あちこちのキリスト教会の伝道者たちが、動機はどうあれ一生懸命に伝道するようになったことです。
「 1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。」
 地中海世界の教会の兄弟姉妹たちは、すでにパウロエルサレムで不当に逮捕されてカイザリヤに移送された事情を聞き知っていました。さらにパウロはあえてローマ皇帝に対して上訴しました。なぜパウロはあえて上訴したのか。それは、パウロは、キリストの福音をローマに行き、当時の世界の最高権力者であるローマ皇帝に福音をあかしするためでした。
こうした事情も諸教会は伝え聞いていたでしょう。そこまでして、主イエスの福音を証ししようとする宣教師パウロのすさまじいまでの宣教スピリット。いまやついには世界の中心ローマの頂点に立つローマ皇帝にまでキリストの福音が伝えられると聞いた伝道者たちは、自分たちも命がけでますます大胆に伝道をしようと、奮い立ったのでしょう。
パウロ先生がローマの官憲に囚われの身となってしまっているのだから、「私たちがパウロ先生の分も一生懸命伝道しなければ」という思いになって熱心に福音を伝えるようになったのです。

ところが、もう一方でどうもサウロについて、ねたみを抱いている伝道者たちもいたようです。
「1:15 人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。 1:16 一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、 1:17 他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。」
「党派心」をもってキリストを宣べ伝えるというのは、どういう人々でしょうか。初代教会における党派心については、コリント人への手紙第一の1章に記されています。「私はパウロにつく」とか「私はペテロにつく」とか、「私はアポロにつく」とか言って、党派心をもつ人々がいたようすが、コリント書第一には記されています。もっともパウロとペテロとアポロは互いに理解しあって、お互いの働きを尊重していたことが手紙でも使徒の働きでもわかります。エルサレム会議でペテロはパウロを支持しました。また、パウロはアポロについて、「私が種をまき、アポロが水をまきました」とそれぞれのコリント教会に対する役割の違いについて説明しています。ですが、彼ら自身ではなくて、その弟子を自称する人々が党派心をもっていたのでした。
 こういう党派心をもった人々が、パウロが獄中にあるという状況のなかで、純真な動機からではなくて、パウロを苦しめようとしてキリストを宣べ伝えたというのです。これについてはいろいろな解釈がされていますが、おそらくパウロが囚われの身となって以来ここ数年、パウロは以前のように思うままにあちこちの町に出かけて開拓伝道できないでいる。その間に、自分たちの党派としての伝道を進めることによって、パウロを悔しがらせ、苦しめようとしているという意味でしょう。純粋な動機からでなく、党派心のために一生懸命なんだというのです。
 というわけで、パウロをサポートする立場の伝道者たちも、パウロに対して反感を抱いている伝道者たちも、パウロが囚人になったことを知って、その動機はともかくとして、ますます熱心にキリストのことを宣べ伝えているのでした。

3.「私」を離れた喜び

 こうした状況を聞き知らされて、パウロパウロをサポートして一生懸命伝道している教会については感謝をし、パウロを苦しめようとして伝道しているようすについては「悔しい!」と思ったでしょうか。いいえ。彼はどちらのことも喜びました。
「1:18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」
 そもそもパウロには「パウロ派を広げよう」などというつまらない野心はまったくありませんでした。彼はただひたすらにキリストが宣べ伝えられることのみを願っていたのです。ですから、どんな動機であれ、彼が逮捕されたことが多くの伝道者たちを奮起させることとなり、キリストの福音が宣べ伝えられていることを喜びました。
 パウロは続けて言います。
「 1:19 というわけは、あなたがたの祈りイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。」
 ここでパウロがいう「救い」は罪の赦し、永遠のいのちという意味での救いではありません。ここで言いたいのは、「主が彼に与えた任務に役に立つ」という意味ととるべきでしょう。主が彼に与えた任務とは、キリストの福音を伝えることにほかなりません。パウロは囚われの身となってしまって、以前のようにあちらの町、こちらの町に自らでかけて伝道ができなくなっていることが残念でした。けれども、パウロが獄中にあることが、かえって善意であれ悪意からであれ、キリストの福音宣教の励ましになっているというのですから、これはすばらしいことでした。そういうことなら、自分としては投獄されがいがあった、つまり「救われた!」「願いがかなった!」という気持ちなのでした。
1:20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。

結び 私たちは今牢屋の中にいるわけではありません。けれども、心が縛られて不自由な状態にある方がいるかもしれません。牢屋のなかにいれば不自由で、外にいれば自由とはかぎらないのです。
 パウロはたしかに囚われの身でした。しかし、彼のたましいは実に自由でした。そして喜んでいました。それはなぜでしょうか。ひとつはパウロのたましいは党派心にとらわれていなかったからです。彼は自分が外で十分伝道できないことについては、イエス様に申し訳ない思いがありましたけれど、自分の代わりにほかの兄弟たちが、よい動機であれ、党派心からであれ、奮い立って積極的に伝道していました。それはよかった!とパウロは喜んだのです。キリストの名が宣べ伝えられていることのゆえに喜んでいたからです。
彼が自由で喜びに満ちていた秘訣は、彼が求めていたのがひたすらに、主キリストの栄光があらわされることだったからです。自分の名誉とか、自分の党派の利益とか、自分の生死は、キリストの栄光があらわされることの前では、まあどうでもいいことでした。
キリストを信じる私たちもまた、パウロと同じようにたましいは自由にされています。キリストにある者は、自分の名誉不名誉、自分の損得、自分の生死といったことによる束縛から解放されています。「キリストの御名が崇められますように」ということに徹して生きてまいりましょう。そこに自由と喜びがあります。