苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「あなたがたの霊とともに」?  追記あり


 ピリピ書の末尾には、次のようなパウロの祝福の祈りがある。
「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」(4:23新改訳)口語訳、塚本訳、前田訳、新共同訳、NIVいずれも同じようなものである。
 「あなたがたの霊とともに」という表現が特異な感じがするが、類似の祈りは、2テモテ4:22にもある。「主があなたの霊とともにおられますように。」
 だが、気になることがある。2テモテの「あなたの霊」が単数形であるのはあたりまえだが、ピリピ4:23の「あなたがたの霊」も単数形で書かれているということである。なぜ「あなたがたの」霊なのに、複数形でないのだろう?
 これはピリピの人々の霊ではなく、聖霊を意味しているからではなかろうか。そうだとしたら、新改訳聖書のばあい、聖霊を意味するプネウマは「御霊」と訳す原則に立っているのだから、これは「主イエス・キリストの恵みがあなたがたの御霊とともにありますように」と訳すべきとことだということになる。ただ「あなたがたの御霊」という表現には違和感はあるけれど。
 文脈を見ると、パウロは、この末尾の祈りになる前、20節ですでに父なる神に栄光を帰す祈りをしている。ところが、その後に、21,22節の「よろしく、よろしく」というあいさつ文が挟まってしまったので、中断してしまった祝祷を再開したのではないだろうか。いかにも口述筆記の手紙らしい。もしそうだとしたら、父、子、聖霊の三位一体がここに表されているのではなかろうか。そこで、20節と23節をつなぎ、かつ「霊」を「御霊」と訳してみると、次のようになる。
 「どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの御霊とともにありますように。」 
 さて、どうなんでしょうか?誰か教えてください。

追記1 同日>
 深夜苦学、いや新約学の専門家である友人から説明をもらいました。

「私としてはやはりここは、「私たちの霊」で良いと思います。例えば、この表現に類似したものに、「あなたがたの心」という表現があります。NT Greekではそれを、「あなたがたの心(複数形)」で記すのが一般的なのですが、「あなたがたの心(単数形)」と、単数形で記されることもあります(マルコ8:17、ルカ12:34、24:38、エペソ6:5、ヤコブ3:14等)。こういった表現はコイネーにも、古典ギリシャ語にも普通に観られる用法で、文法家達には、'Distributive Singular'と呼ばれています(Smyth §998, BDF §140, etc.)。つまり、「あなたがたそれぞれの霊」という解釈です。」

 なるほど。Distributive Singular配分単数。それなら、1コリント6:19「あなたがたのからだは聖霊の宮であって」という「宮」が単数形なのとおんなじことか。なんだ、もっともだけれど、つまらないなあ・・なんていっちゃいけませんね。

追記2 同日>
 尾山令仁師は「あるいは『霊をひとつにしてen heni pneumati』と言っていることと関係があるかもしれない。」と遠慮気味にいっているのを見つけた(新聖書注解)。