苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神の家族・神の御住まい―松原湖研修会2020年開会礼拝

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ人への手紙2:19-22)

 (今年は、ZOOMで開かれたMBC研修会でした。その開会礼拝での説教を担当しました。)

序 新型コロナ禍で共に集って礼拝することが困難になる状況下にあって、私たちはキリスト教信仰において共に集うことの意味を問われています。教会に集わなくても、イエス様さえ信じ、自分で聖書を読んで生活していれば、それで十分なのではないかという考え方をする人々もいるでしょう。

は、神は聖書においてなんと教えているのでしょう。教会の歴史を振り返りつつ、考えたいと思います。

 

1.救いを教会的に理解する・・・神の民・神の家族 

 

 「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:19)

 

ローマ教会は地上の制度的教会、特に教皇を頂点とするその聖職者階級すなわち「教える教会」を、神と信徒たちすなわち「聞く教会」との間の仲保者に位置付けました。プロテスタントは、神と人との間の仲保者は人となられたキリスト以外にはなく、人はキリストの義を根拠とし、信仰はそれを受け取る手段として義と認められ救われることをローマ書から明らかにしました。しかし、反面、教会とは何なのか?なぜ教会に属す必要があるのかということがわかりにくくなりました。

しかし、エペソ書2:19に基づいて救いを表現するならば、救いとは「神の家族」に加えられるということです。そのかぎりでは、教父キプリアヌスの「教会の外に救いなし」ということばは真理です。

キリストを信じる者に、この世にあって神が賜わるおもな祝福は、義と認めること、子とすること、聖化することの三つです。義認と聖化を意識するとき、「ひとり神の前に」という個人的な意識を持つでしょう。それは大事なことではあります。けれども、私たちは、義認と聖化だけでなく、神の子どもつまり神の家族の一員とされたことをもっとよく味わう必要があります。

 ヨーロッパでいえば中世の封建主義、日本でいえば江戸時代の「家」主義に対する批判から、近代の知識人たちは個人主義に関心をもち、自我の確立を目指し、神の前における「私」ということを大切にしました。日本でも明治の知識人夏目漱石は『私の個人主義』を書いています。思想史においては、しばしば、プロテスタンティズム個人主義の源泉の一つであるように教えられます。たしかに神は一人一人を大切にされますが、同時に、全体をも大切にされるお方であり、礼拝共同体である神の家族を大切にされることは、旧約・新約聖書を通じての神による救いの計画の進展から明らかなことです。

 

2 教会の秩序・・・主にある聖なる宮

 

使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。」(エペソ2:20,21)

 

 教会を表現するにあたって「家族」に続いて、「神殿」がここに出てきます。ここには、教会の秩序だった組織としての面が表現されています。建物というものは、基礎、土台、柱、壁、窓、屋根など部分部分が、それぞれきちんと役割を果たしつつ、緊密に組合わせられてこそ機能を果たすことができます。石造りの神殿を構成している多くの石も、もし組み合わせられなければ、ただの石ころにすぎません。しかし、適切に配置されるときに、全体の中で役割を得て、意味が出て来るのです。

 私たちの教団が直接の先祖とするフレデリック・フランソンは敬虔主義の流れに生まれた人です。敬虔主義運動には、伝統的な見える組織、制度としての教会を硬直したものとして、嫌悪する面があります。それは歴史的には、ドイツであれ、イギリスであれ、ヨーロッパ諸国の国教会主義の教会組織に対する反動でしょう。組織ばかりが肥大化し、堅固なものとなって、硬直して、霊的な生命が失われたということがあったからです。ルターの伝統のあるドイツにおいては国教会が、17世紀にそうした伝統的組織の弊害を露呈していたときに、フィリップ・シュペーナーやフランケを指導者とする敬虔主義運動が起こりました。英国では英国国教会の内部でジョン・ウェスレーの福音主義運動が起こりました。

 敬虔主義の流れでは、教理・組織・伝統よりも、一人一人の心の敬虔な宗教が大事にされます。これらの運動が祈り・敬虔な生活そして伝道をたいせつにしたことは意義あることです。しかし、反面、厳密な神学や法的意識に対する嫌悪については、反省する必要があります。なぜなら、教会は「キリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となる」ものであるからです。まことの神は、いのちの神であると同時に、混乱の神ではなく、秩序の神だからです。敬虔主義の「心の宗教」は、啓蒙主義運動と合成されたときに破壊的な自由主義神学へと向かってしまいました。正統な教理、聖書信仰を維持しつつ、心の宗教を大切にすることが大切なのです。私たちの教団は敬虔主義の流れを汲むものとしての教理・教団規則の軽視という弱点を、ここ十年以上にわたる機構改革の中で克服することに努めてきました。

 

3 必要十分な教会のしるし

 

「あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によっての御住まいとなるのです。」(エペソ2:22)

 

 パウロの手紙では、しばしば教会について語るにあたって、神・キリスト・御霊の聖三位一体に言及します。第一コリント書12章でキリストのからだである教会における賜物の多様性と、キリストにある一致を語るとき、使徒は神と主キリストと御霊について述べていますし(1コリント12:4-6参照)、エペソ書で教会の交わりの一致について教えるときにも、御霊・主イエス・父という三位一体に触れています(エペソ4:4-6参照) 。それは真の神における、父・子・聖霊の交わりこそが、教会の交わりの原型あるいは源泉あるいは模範であるからでしょう。

 父と子と聖霊は、主宰される父と、父のみこころを実行する御子と、御子のなさったことを完遂・適用される聖霊という分担・秩序をもっていらっしゃいます。同時に、父と子が聖霊にある愛の豊かな人格的な交わりを永遠から永遠にもっていらっしゃいます。このお方が教会の模範であり源泉であり原型であるのですから、教会においても秩序とともに、そこには人格的な愛の交わりが大切なことです。

 16世紀の宗教改革の成果を受けて、17世紀はプロテスタント教会において、特にドイツ国教会においては、ローマ教会に対抗するために、教義の整備と教会組織の充実ということが進められて行きました。しかし、その反面、霊的生命が枯渇してきました。いわゆる死せる正統主義です。こうした状況を憂えた人々が、敬虔主義運動を始めました。彼らはコレギア・ピエターティスつまり敬虔なる者たちの集いを始めて、主日とは別にウィークデーに信徒が集まってみことばを学び祈る会をするようになりました。これが今日、私たちの教会で週日に祈り会をする習慣の始まりです。共に交わり、共にみことばに聴き、共に祈るうちに、聖霊の火が燃えあがって、やがて世界宣教に向かっていきます。敬虔主義運動は北欧諸国にも広がり、同盟基督教団の祖にあたるフレデリック・フランソンの母親は敬虔主義運動参画した人でした。

 宗教改革の神学を重んじる人々は敬虔主義運動、リバイバルムーブメントを軽んじる傾向があります。しかし、恩師である教会史家丸山忠孝先生は敬虔主義運動をどのように位置づけるかということは、教会史の重要な課題の一つだとおっしゃっていました。二十年ほど前、母校の神学校で教会史を講じる中で達した私なりの理解では、宗教改革において不十分であった初代教会のしるしの復興を十分なものとしたのが、敬虔主義運動でした。使徒の働き2章に記される初代教会の姿は、次のようです。

 「ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き祈りをしていた。」(使徒2:40-42)

 ここには、①伝道、②みことば、③交わり、④聖礼典(バプテスマ・パン裂き)、⑤祈りという、教会の五つのしるしが表されています。宗教改革者は、過てるローマ教会に対して、真の教会のしるしとして、正しい説教と聖礼典の二つを明らかにしました。それは教会が教会であるための必要最小限のしるしでした。そこに欠けていた伝道、交わり、祈りを回復したのが敬虔主義運動です。

 

結び 救いとは、キリストにあって神の民・神の家族である教会の一員に加えられることです。その教会はキリストを要石として聖書という土台の上に、秩序をもって建て上げられるものです。

 私たちは宗教改革と敬虔主義の流れを引く神の家族として、みことばと聖礼典に加えて、交わりと祈りと伝道という必要十分なしるしを備えた教会として、成長してまいりたいと願うものです。