一昨年から毎週火曜日夜に、教会の兄弟姉妹8人ほどでオンラインで「神学読書会」をしています。『新・神を愛するための神学講座』が出たのをきっかけに、「解説してほしい」という要望から始まったものなのですが、それを読み終えて、ボン・ヘッファー『共に生きる生活』、ブルーダー『嵐の中の教会』、拙稿『聖書から見た「教会と国家」』と来て、数か月前から拙稿『教会史概論』を読んでいます。
1時間読んで、感想を一言ずつ話すのが15分くらいですが、毎週やっていると結構、読めるものです。GOOGLE MEET無料版だと1時間で終わるので、再接続の間、感想を考えて分かち合うという感じです。
『教会史概論』は、かつて東京基督神学校で講義したときのノートです。昨晩は、カンタベリーのアンセルムスのところを読みました。彼は『プロスロギオン』『モノロギオン』『クール・デウス・ホモ』といった神学的・哲学的著作で有名で、スコラ哲学を始めた人という印象が強いのですが、彼の神学は大学の神学ではなく、修道院神学である点に特徴があるとされます。それは、知的好奇心ゆえに理解を求めるのではなく、まず敬虔な祈りをもって神の啓示のことばを信じ、信じたことを啓示のことばによらず自然的論理によって知解することを求めていくということです。
そういうアンセルムスなのですが、ウィリアム2世という王と長年にわたって聖職叙任権を教会に奪還するために延々と戦った人でした。恐らくそのために割かれたエネルギーと時間のほうが、神学的営みのために割かれたエネルギーよりもはるかに多かったと思われます。そんなことに時間を奪われず、神学的営みにエネルギーを注ぐことができたら、もっと多くの書を書き残したであろうに、もったいない、などと思ってしまいます。しかし、教会の自律のための国家権力との面倒な戦いを戦ったことがあってこそのアンセルムスなのでしょう。