苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神は笑う

創世記21:1-7

2025年5月28日 HBIチャペル

 

1 主は約束されたとおり

 主がアブラハムに子を与えると約束を与えてくださったのは、もう25年も前、カランを旅立てとお命じになったときでした。あのときアブラハムは75歳、サラは65歳でした。子どものいないアブラハム夫妻に、主はご命令にしたがって旅立つなら、「2わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。3**,わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」と約束してくださったのでした。

  あれから四半世紀、アブラハムはさまざまな経験をさせられました。約束の地に到着するとまもなく大旱魃に襲われ、アブラハムは神の約束を横に置いて、一族郎党ともどもにエジプトへと逃げました。神の約束をないがしろにしたアブラハムは弱く、そのため妻サラの胎はあやうくエジプトの王に汚されるところでしたが、主が守ってくださいました。

 悔い改めて、約束の地に帰ると、欲に目がくらんだ甥のロトはアブラハムから離れて行きました。ロトはソドムの住人となりますが(13章)、メソポタミア連合軍にロトは捕虜とされ、アブラハムはそのために、戦をしなければなりませんでした(14章)。

 15章。その後アブラハムが「神、主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。私の家の相続人は、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか。」と、失望しながらお尋ねすると、主は「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない。」と、約束を確認してくださいました。

 16章。しかし、「アブラハムから生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない。」という主の約束を、夫から伝え聞いたサラは、自分はすでに子を産めないからだになっていたので、「これは、『アブラハムに子種がなくなる前に借り腹をした実子を得よ』という意味なのだわ」と誤解して、涙を呑んで夫に自分のはしためハガルを与えたのでした。しかし、これは神のみこころに反することで、夫婦の間に亀裂が入りました。

 17章と18章。本日の記事の1年前のことです。主はアブラハムに現れて、「あなたたちから生まれる実の子が、アブラハムの相続人となるのであり、彼の子孫から世界のあらゆる民族は祝福されるのだ」と神は仰せになり、割礼の儀式を定められたのでした。アブラハム99歳、サラ89歳でした。アブラハムとサラは、この約束を当初、どうしても信じることができずに笑ってしまったのです。しかし、主は生まれて来る子の名はイサクだよと予め告げてくださったのでした。そして、主は「主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」(18:14)とおっしゃったのです。

 このお言葉の直後、ソドム滅亡という恐ろしい出来事があり、ロトを失ったと思ったアブラハムは、絶望的な気分に捕らわれて、神に背を向けるようにして、南のネゲブに避難します。そして、そこでエジプトに下ったときと同じ罪を犯します。しかし、それにも拘わらず、主がアブラハムを神の預言者として選んでおられることを明らかにされたのでした。

 ネゲブの地に住むことを許されて、ようやくな日々がアブラハムと妻サラと一族にもどってきました。そんな日々の中でこの100歳と90歳の夫婦は、主が生きておられること、主が約束されたことは必ず実現することを信じる信仰が与えられました。二人は信仰のゆえに、久々に交わり、サラはその胎にアブラハムの子を宿したのです。ありえないことでした。しかし、主はその約束を実現させたのです。「1**,主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとおりに、サラのために行われた。2**,サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。」 「主は約束したとおりに」と念を押されているとおり、主は真実なお方ですから、ご自分の約束をたがえることは決してないのです。私たちが真実でなくても、主は常に真実です。主にはご自分を否むことができないからです(2テモテ2:13)。

 

.神は笑う

(1)悲しい笑いから、勝利の笑いへ

 神様は、1年前に生まれて来る子の名を指定しておられました。創世記17:19「神は仰せられた、「いや。あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名付けなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」

 イサクとは、「彼は笑った」という意味です。1年前、アブラハムが神の約束を信じることができずに、笑ったからでした。 こうしてアブラハムは、神様が予め息子をイサクと名づけます(3節)。

3**,アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。

 さて最初にった」のはアブラハム、そしてサラでした。「100歳の爺と90歳の婆に子が生まれるものか」という不信仰で悲しい、あきらめの笑いでした。

 しかし、アブラハムと妻サラのうちに不思議に主の真実を信じきる信仰が与えられ、久しぶりに二人が結ばれました。やがてサラは「ああ、むかむかする。アブラハム、わたし酸っぱいものが食べたい」とか言って、子が宿ったしるしが現れました。「本当か!サラ」とアブラハムは驚き笑いました。そして、サラはお腹の赤ん坊が動くのを感じるようになりました。ますます夫婦には、主の真実に対する喜びと確信があふれてきて、あの悲しみとあきらめの笑いは喜びの笑いに変わったのです。

 笑ったのは夫婦だけではありません。アブラハム一族郎党の誰もが、「アブラハム爺さん、サラ婆さんにお子様が与えられたよ」と笑ったのです。

 しかし、ほかの誰よりも高らかに笑ったのは、誰あろう。神ご自身でした。

6**,サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」7**,また、彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子に乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、主人が年老いてから子を産んだのです。」

 (2017訳では「神は私に笑いを下さいました」と訳していますが、第三版までは「神は私を笑われました。」と訳していました。ヘブル語テクストはどちらに訳することが可能ですが、私としては第三版の訳が好ましい。)

 「サラよ、アブラハムよ、お前たちはわたしの約束を信じられずに笑った。だが、見たか!わたしは全能の神、枯れ木に花を咲かせ、死者をよみがえらせる神だ。わたしは約束を成し遂げた。今度は、わたしがお前たちの不信仰を笑い飛ばす番だ。ワッハッハッハ」と。神の笑い声は、天に響き、天のみ使いたちも笑いました。父アブラハム夫婦であっても、不信仰に陥り人間的な小細工をして失敗し、失望してしまうことがありました。しかし、人間の不信仰も、肉的な小細工も、失望も、悪魔の策略も、神はすべて笑い飛ばして、高らかに勝利を宣言なさるのです。

 

 天に響く神とみ使いたちの勝利の大笑いを聞くような思いで、アブラハムは主との契約を思い起こして、4節「神に命じられたとおり、生後八日になった自分の子イサクに割礼を施し」ました。 アブラハムは恵みとまことの契約の神を賛美しつつ、その契約のしるしである割礼を我が子イサクに施したのでした。

 

3 サラの出産と神の勝利の預言的意味

 振り返れば、アブラハムの生涯は、「サラとの間に、ひとりの息子が生まれる」という神の約束に貫かれた生涯でした。アブラハムの生涯は、神の勝利の笑いを象徴する名イサクという息子を生むためにあったと言っても過言ではありません。

 実は、「女が生むひとりの男の子によって、神は勝利し、民の救いが実現する」という約束は、アダムが蛇の誘惑に破れて善悪の知識の木の実を食べた直後に明らかにされたものでした。「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:15)「女の子孫」は蛇つまりサタンの頭を踏み砕いて勝利を得る王です。

 アブラハムの子孫イスラエルの民が、エジプトで奴隷とされ弾圧されていた時代、神は勇気ある助産婦シフラとプアをもちいてひとりの男の子モーセを誕生させました。モーセは、エジプトのファラオと戦って勝利して、出エジプトの偉業を成し遂げます。イスラエルの民は約束の地で、祭司の王国としてその使命を果たすべしとされていました。

 約束の地でイスラエルは士師の時代、霊的暗黒の中に低迷していました。そのとき、神は生まず女ハンナの出産によって、イスラエルに光明をもたらしました。ハンナから生まれた預言者サムエルは、サウル、ダビデに始まる王国時代を来たらせるのです。

 しかし、ソロモンの後、イスラエルと南ユダ王国の王たちは、偶像礼拝の闇にとらえられ、もはや「祭司の王国」としての役割を果たせなくなります。その時代、預言者イザヤは告げました。9章6,7節「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」

 生まず女サラがアブラハムの子イサクを生んだことは、神のひとり子イエスの処女降誕を指さす型であったのです。あの古い蛇は神の御子イエスを十字架に付けたとき、悪霊どもと祝宴を開いてゲラゲラと馬鹿笑いをしたことでしょう。しかし、三日目、神はイエス・キリストを死者の中からよみがえらせて、あのゴルゴタの十字架の死をもって、私たちを罪と死とサタンの縄目から解放されたことを明かにされました。女の子孫キリストはかかとを噛まれつつ、蛇の頭を踏み砕いて勝利を得られたのです。知らずして神の人類救済のわざの手伝いをさせられたサタンは悔しくて歯ぎしりをし、神は勝利の高笑いをされたのでした。

 

結び

 テレビを見れば、毎日毎日、戦争のニュース、政治家の不祥事、親が子を殺した、子が親を殺したとか、暗いニュースばかりです。今もなお悪魔が「空中の権を持つ支配者」として悪さをしています。そういう現象ばかり見ていると、悲観的になりがちでしょう。 私たち自身も、イエス様を信じながらも、弱さと罪の残滓に悩まされ、また、家の中に、地域社会にさまざまな問題があります。

 それにもかかわらず、私たちクリスチャンは楽観的に生きていくのです。なぜでしょうか。それは、人間の罪、弱さ、不信仰、失敗、混乱にもかかわらず、神は真実なお方であり、最後には必ずキリストにある勝利を取られた。キリストは勝利の笑いをもって私たちを祝福してくださからです。主の恵みに感謝し、約束にもう一度、主の約束に固く立って生きてまいりましょう。