苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

東の王たちの侵攻

創世記14章
オリエントの中の旧約史3


 聖書における主題のひとつに「都市」という問題があります。このことに着目したのはジャック・エリュールで、彼は『都市の意味』という本で、旧新約聖書全体にわたって都市に関する研究をしています。聖書によれば、最初に都市を築いたのは、弟を殺害し、神に背を向けてエデンの東に去ったカインです。カインにとって、都市は神に代わって彼を守る偶像でした。その後、シヌアルに築かれた都におけるバベルの塔の出来事は、神の前に傲慢に膨れ上がった人間の象徴でした。
 そして、本日登場するソドムは、都市と都市文明に対する神からの警告として読まれるべきことでしょう。神にあえて反逆する都市は、戦争の標的とされて滅び、あるいは、天災によって滅亡にいたるのです。


1 時代背景(考古学的な知見)  

14:1 さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代に、
14:2 これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわち、ツォアルの王と戦った。
14:3 このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち、今の塩の海に進んだ。
14:4 彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目にそむいた。
14:5 十四年目に、ケドルラオメルと彼にくみする王たちがやって来て、アシュテロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、
14:6 セイルの山地でホリ人を打ち破り、砂漠の近くのエル・パランまで進んだ。


 創世記14章1節に登場する王たちはみな、アブラムの故郷ウルがあったメソポタミアとその周辺の王たちです。シヌアルというのは、かつてバベルの塔が建てられたペルシャ湾に近い川下地域です。その王の名がアムラフェルとあります。学者によっては、これは世界最古の法典ハンムラビ法典を定めたハンムラビ王ではないかという説もありますが、かりにずばり本人ではなくても、同じ類型の名前の王がいたわけです。
 エラサルはウルとともにシヌアルの古代都市のひとつです。エラムというのはイラン高原の西の端っこあたりです。紀元前2004年には、このエラム人たちの侵略によって、アブラムの故郷ウルは滅ぼされたのでした。
 メソポタミアの王たちのカナン侵攻にかんしては、粘土板に楔形文字で紀元前24世紀から23世紀頃、アッカド帝国のサルゴンがカナンに遠征した記録があり、また、メソポタミアの王たちが軍事同盟を結んだというのは紀元前2000年から1750年の頃にはしばしば行われたことも古代の粘土板に記録されています。創世記14章に記録されたメソポタミア連合軍のカナン侵攻は、そうした事件のひとつだったのです(K.A.キッチンpp9,10)。

 他方、カナンの地の都市国家はソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイム、ツォアルで、それらの位置は、ソドム、ツォアルは死海の南端の東海岸の遺跡、ゴモラマサダの要塞遺跡から見下ろせる死海の東岸で、アデマは北端にある遺跡だろうといわれています。これらの遺跡については、次回紹介したいと思っています。
 カナンの地というのは、東にはメソポタミア文明、南にはエジプト文明という巨大な文明圏があり、その中間に位置していました。カナンにはエジプトのナイルやメソポタミアのチグリス・ユーフラテスのような大河はありませんから、巨大文明が発達する条件はありませんでしたが、両文明圏の通り道のような場所にカナンの地はあって、東西の文物が、キャラバン(隊商)によってカナンの地を往来する回廊でしたから、それなりの文化的経済的繁栄を見ることができました。若い日に奴隷に売られたヨセフをエジプトに連れて行ったのもそういう隊商でした。しかし、政治的には、カナンの地は二大文明の間といった場所は単に通り道ですむわけはなくて、エジプトが強国である時代にはエジプトに貢ぎ物を求められ、メソポタミアに強国が出現するとメソポタミアから求められるという立場だったわけです。

「14:4 彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目にそむいた。」

とあるように、アブラムがカナンの地に住み始めた時代は、メソポタミアのケドルラオメルという王が、カナンの地のソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムといった都市国家から貢を取り立てていたのです。まあ、「ごちそうさん」のやくざが「オンドリャ誰の許可もろて、ここで商売やっとるんじゃい。ショバ代出さんかい。」というようなものです。
 それで12年間はカナンの都市国家群はおとなしくケドルラオメルに貢を納めていたのですが、もうそろそろいやになってしまったのです。そして、13年目ソドムの王ベラが中心になって、近所の都市国家の王たちを誘って、「もうケドルラオメルに貢を納めるのはやめにしましょう。かりにケドルラオメルが軍隊を送ろうとしても、われわれが同盟を組んでおけば、撃退することができます。」ということで、カナン都市国家は軍事同盟を結んで、「エラムのケドルラオメル王さま。これまでお世話になりました。これにてわれわれは独立することにいたしました。」と書状を送りつけたわけです。
 東の王エラムのケドルラオメルは当然怒りました。しかし、エラムの軍だけでカナンの同盟軍と戦争になれば、万一不覚を取るかもしれません。そこで、用心して近所の王たちを誘ってメソポタミア連合軍を編成し、翌14年目、大軍勢でカナンの地を襲ったのです。
戦いの帰趨は闘う前から見えていました。先進文明のメソポタミアの強大な連合軍は、カナン同盟軍を踏み潰し、ソドムとゴモラは陥落させられ、全財産と全食糧を略奪しました。以上が、歴史的背景です。


2 ロト救出とアブラムの霊的危機


 アブラムと別れて後、ロトとその家族はソドムの「近くに」住むようになりました。もし、近くに住んでいただけならば、メソポタミアの連合軍が侵攻してくるというニュースに触れたなら、さっさとテントをたたんで逃げればよかったのです。しかし、いつのまにかロトの家族はソドムと深いかかわりをもって、城壁内に住むようになってしまっていたのです。「14:12 彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。」とあるとおりです。
メソポタミア連合軍に奴隷にされて数珠繋ぎになった人々の列の中に、ロトとその家族もいたのでした。彼らは、これから砂漠の道をはるかメソポタミアまで引っ張って行かれるということになってしまったのでした。
 欲をかいたロトとその家族の悲惨です。貪欲というものは、人を滅ぼしてしまうのです。
「裏切り者は、自分の欲によって捕らえられる。」(箴言11:6)
「貪欲な人は財産を得ようとあせり、欠乏が自分に来るのを知らない。」(箴言28:22)
おそろしいことです。
他方、アブラムはソドムを初めとする低地の町々がひどく堕落しており、いずれ神のさばきが下るであろうと考えていましたから、近寄ろうとはしなかったのです。
 さて、東から巨大な軍団がやって来るという報せはアブラムはとうに受けて避難していたわけですが、そこに、「アブラムさま。甥のロトさまがご家族もろともメソポタミア連合軍に捕虜とされてしまいました。」と報せがアブラムのもとに届いたのです。恩知らずにも背いていった甥とはいえ、捨て置くわけにも行きません。アブラムは彼の家で生まれた僕318人をただちに召集しました。多勢に無勢、とてもメソポタマ連合軍にかなうような頭数ではありません。
 けれども、メソポタミア軍には隙があることは明白でした。都市国家から奪い取った莫大な財宝と莫大な食糧の山々を荷車に載せたり、兵士たちが担いだりしているのです。そして、数珠つなぎになった捕虜たちも奴隷とすべき貴重な戦利品でした。もはやそれは軍団ではなく、巨大な隊商といったところでした。日が落ちれば、勝利の美酒に酔いしれていたのでしょう。そこでアブラムはわずかな手勢をもって夜襲をかけて、全財産と捕虜のすべてを取り戻したのでした。

 こうしてアブラムは一躍凱旋将軍となりました。カナン都市国家同盟の盟主ソドムの王ベラは、王の谷シャベの谷までアブラムを迎えに来ました。舞台は整いました。輝かしい大勝利を収めたアブラムの栄誉をたたえて、都市国家軍の王たちの仲間として迎えようということでした。この世的に言えば、アブラムにとって千載一遇のチャンスでした。これまで東方からやってきた半遊牧民のおやじにすぎなかったアブラムは、カナンの地の紳士となれるのです。ソドムの王の申し出どおりに、ソドムにあった宝を戦利品として受け取るならば、城壁のある都市国家を築くことだって十分可能だったはずです。
 しかし、これは悪魔の罠でした。ソドムとゴモラをはじめとして、低地の町々はその不道徳ゆえに、神の怒りの下にある町々であったからです。その仲間となることは、世的には大成功でも、神の前では堕落であり滅びを意味していたからです。


3 メルキゼデク

 しかし、この表面的にはすばらしく栄光に満ちた時、しかし、霊的には危機一髪というときに、神様が介入してくださいました。シャレムの王メルキゼデクをアブラムのもとに遣わしてくださったのです。メルキゼデクについては「彼はいと高き神の祭司であった」とあるだけです。メルキゼデクという名は、正義の王という意味です。旧約聖書においてメルキゼデクが登場するのは、たった一回このときだけです。しかし、ヘブル人への手紙7章に、メルキゼデクについて書かれています。

ヘブル7章1節から17節。
7:1 このメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。
7:2 またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。
7:3 父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。
  7:4 その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。
(中略)
7:16 その祭司(キリスト)は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。
7:17 この方(キリスト)については、こうあかしされています。
  「あなたは、とこしえに、
  メルキゼデクの位に等しい祭司である。」


 ポイントは・・・
第一に、メルキゼデクは、永遠から永遠の祭司であること。
第二に、キリストはメルキゼデクの位に等しい祭司となられたこと、です。
 学者によっては、メルキゼデクは受肉前のキリストつまり三位一体の第二位格、神の御子ではないかと解釈します。断言はできませんが、もしかすると、そうなのかもしれません。彼がアブラムのところに、パンとぶどう酒を振舞ったのも聖餐を暗示しているようにも見えます。
 とにかく、アブラムはメルキゼデクのおかげで、はっと目がさめました。それはメルキゼデクの祝福のことばによりました。メルキゼデクは、アブラムをほめたたえるのではなく、アブラムに敵を渡された神に栄光を帰したからです。

14:19 彼はアブラムを祝福して言った。
  「祝福を受けよ。アブラム。
  天と地を造られた方、いと高き神より。
14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡された
  いと高き神に、誉れあれ。」
アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。


結び
1.ソドムに近づき、ソドムに入り込んだロトのようになってはなりません。神の民である私たちは、神に背を向けた滅びの町、滅びの文明に頭までずっぽり使って生活をしてはなりません。この世にあって文明生活と縁を切ることはできない相談ですが、是は是、非は非として、距離を置いて生活をすることが必要です。

2.あなたが何か華々しい成功を収めたときというのは、もしかすると、サタンが誘惑をしかけてくるときかもしれません。この世の責任から逃げ出す消極的な生き方をしなさいというわけではありません。この世での責任もとるべきときにはとらねばなりません。しかし、そうして責任を取って成功を収めた時に、すべての栄光を神のお返しすることを決して忘れないことが肝心です。神に栄光をお返しするならば、その罠からのがれることができます。そして、アブラムはソドムの王から武勲に応じた財宝を取るようにという申し出を断り、危ういところでサタンの罠をのがれることができたのでした。ソドムの王に決して借りをつくることはしないという態度表明でした。
 
 私たちも、なにか成功を収めたときが危ないことを覚えておきましょう。失敗の日に反省する。成功の日にサタンに警戒すること。そして、秘訣は神に栄光をお返しすることです。「わたしにこの成功を収めさせてくださった神に栄光あれ」と。