苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

人権思想には二つの流れがある

 人権思想の根源には二つあって、一つはキリスト教であり、もう一つはジャン・ジャック・ルソーの反キリスト教的思想である。前者は、英国のジョン・ロックの『統治二論』に明白に表現されている。ロックがいう人権とは、創造主が被造物である人間に与えた自然権を意味している。ロックの思想を受けて、ヴァジニア州権利章典(1776年)が成り、合衆国憲法1787年)が編まれた。そこには、創造主がすべての人に人権を付与したという天賦人権論が明瞭に表現されている。

 他方、フランス革命における「人権宣言」(1789年)が、先行する上記のヴァジニア州権利章典と合衆国憲法の影響を受けていることは確かであるが、実は、決定的な違いがある。フランス革命における「人権宣言」には創造主がまったく登場しないのである。フランス人権宣言で神聖不可侵とされるのは人間の権利である。ここには神を拒否する態度が現れている。その反キリスト教的思想の根源は、ジャン・ジャック・ルソーである。ロベスピエールが革命の教科書としたルソー『社会契約論』には、新たに理性的な市民宗教を創設すべきことが提案されている。

 中世までヨーロッパ社会は、教会と王という、聖俗二つの権威によって支えられてきた。英国のピューリタン革命では、たしかに国王の首を斬ったけれども、そのあとクロムウェルたちは徹底的にキリスト教によって国と社会を作りあげようとした。彼の没後まもなく王政復古となるが、教会と国王という伝統的権威は二つながら守られた。

 他方、フランス革命では、国王をギロチンにかけたばかりか、おびただしい司祭たちをもギロチンにかけ、ノートルダム大聖堂には理性の女神の画像を掲げた。ルソーを根源とする無神論的人権思想は、その後、ロシア革命毛沢東革命、ポルポト革命という全体主義革命へとつながっていく。神を排除した人権思想の場合、政府指導者が神になりかわるということが起こるのである。

 人権思想には、このように二つの系譜があることをわきまえておきたい。