苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

書評 『私は山に向かって目を上げる―信州南佐久における宣教と教会開拓ー』

 予告していた拙著『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓―』がようやく出来上がったと連絡をいただきました。前半は伝道者としての形成ということで、救いの原点・伝道者としての召し・農村伝道への志・神学など、準備段階のこと、後半は、信州南佐久であったさまざまな出会い・出来事・実際の伝道と教会形成の原則とについて書いてあります。深刻なことも、抱腹絶倒のことも、まじめなことも、ああそうだったのかという発見も、いろいろとあったことを書いてあります。
 前に出した組織神学書『新・神を愛するための神学講座』の引用聖句索引と事項索引を付録にしましたので、ご活用ください。

 推薦文を、四十年来の友人の山口陽一牧師が書いてくださったので、ここにアップします。本はアマゾンでも手に入ります。 以下引用       

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水草修治君と私

                     山口陽一(東京基督教大学学長)

 一九八二年の四月、私は東京の国立市にあった東京基督神学校に入学しました。入学式の日、おでこの広いひょろっとした新入生が、小柄でがっちりとした人とにこやかに話していました。ひょろっとしたのが水草修治君で、がっちりしたのが、これも新入生の白石剛史君でした。入学直後、水草君のお父様が大きな手術を受けました。そのため神学校では二十四時間の連鎖祈祷会をしました。入学早々の忘れがたい経験です。当時の神学校では、卒業を前にした先輩に四十日の断食をしている人がいたりして、これはただならぬ世界に足を踏み入れたと思いました。そしてただならぬ友人たちと出会いました。

 大学で歴史を専攻した私は、これからは啓示の世界に生きようと決意して神学校に入学したのですが、丸山忠孝校長と出会って歴史神学を知りました。また、安藤肇『深き淵より キリスト者の戦争体験』(1959年)により戦時下の日本の教会の罪を教えられ、将来牧師となるときに大切にすべきことが見えてきました。そこで日本の基層文化が残る「田舎」において伝道し、そこに主の教会を形成する、という志が生まれ、水草君たちと日本福音土着化祈祷会「葦原(あしはら)」の趣意書を書き、同じ思いを持つ兄姉と共に祈りと学びを始めました。地方の教会と文通して祈り、福音の土着化やコンテクスチュアリゼーション(文脈化)に関する学びを続けました。

 最初の任地の板橋と練馬で、私たちはそれぞれ結婚し、四人でカルヴァンの『キリスト教綱要』を読み、それぞれ牧会をしながら大学院で学びました。私は彼から原理的なこと、さまざまな思想の要点を絶えず教えてもらいました。私たちは宮村武夫先生から学んだ「地域に根ざし地域を超える」という理念を心に刻んで地域教会の形成にあたりました。「葦原」の交わりは卒業後も続き、私はやがて郷里である群馬の吾妻で創立百年を超えた母教会の牧師になり、水草君は信州小海での開拓伝道を始めることになりました。私は若者を育てて送り出す教会と送り出された兄姉をつなぐために「吾妻通信」(後に「吾妻教会月報」)を発行しましたが、水草牧師は地域の人々に語りかける「通信小海」を全戸配布しました。その内容がいかに地域の人々に届いたかを示すのが、本書に記された離任の折の「通信小海」読者の会です。

 私は二〇〇四年に東京基督神学校の校長になりました。その時、もう一人の候補が水草牧師でした。私たちは話し合いました。私は水草牧師が適任であると思いましたが、彼は会堂の献堂から間もないときで、働きが一区切りを迎えていたのが私でした。

 話は戻りますが、私の最初の赴任先である徳丸町キリスト教会の夕拝で水草牧師に語ってもらった教理説教をまとめた『神を愛するための神学講座』(1991年)は、増補を重ね『新・神を愛するための神学講座』(2022年)になりました。今回の本は「神を愛するための神学」がどのように実を結んだのかを明らかにしています。数々のエピソードに心を和まされ、励まされる回顧録となっているのですが、水草牧師の持ち味は、一つ一つの体験が神学的思索と結びついているところです。神学が実践され、実践が神学を深めるという循環が、この本には詰め込まれています。そのつながりを示す注記が各所にありますから、読者はこれに導かれて両書を併せて読まれることをお勧めします。

 一例を挙げましょう。水草君は神学生時代に宣教学のクラスで、「福音を文脈化するのは間違いで、文脈化すべきは福音を伝える媒体である」ことを学びました。そして、南佐久郡での伝道において、「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」を変えることなく、共通恩恵の器に特別恩恵を載せてその地域の人々に届けることを原則にしますが、その実践の中で、共通恩恵もまた単なる手段ではなく、それ自体に価値あることなのだと気づきます。地域の人々を愛し馴染もうという姿勢で、とにかく何でもやってみる。出会いが生まれたら最初にその人のために祝福を祈る。最初に祈らないと仲良くなっても福音を語るのが難しくなる。本当にそのとおりでしょう。具体的にどんな興味深いことが語られているかは、本文をお読みください。

 本書は、地方伝道に大そう役立つ手引きであり、福音宣教の普遍的な神学の書でもあります。「葦原」の志が、実践され深められ、次代へのバトンとして整えられたことに敬意を表し、神の国の福音のために大いに用いられることを祈ってやみません。