苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

朝岡勝 「神を愛するために神を知る 『新・神を愛するための神学講座』に寄せて」

 昔、大学生時代に出会ったころ、わんぱく盛りの小学生で、昨年春まで同盟基督教団徳丸町キリスト教会牧師、現在、同盟基督教団理事長、東京基督教大学理事長を務めている朝岡勝先生が推薦文を書いてくださいました。あのころリンゴ病にかかって二段ベッドの下で、ほっぺたを真っ赤にしてしょんぼりしていた勝少年の姿を思い出すと、感慨深いものがあります。

「神を愛するために神を知る 『新・神を愛するための神学講座』に寄せて」

                             朝岡勝

 1991年に文字通り「手作り」の小さな教理の書物が出版されました。『神を愛するための神学講座』と題が付けられたその本の「はしがき」にはこう記されています。「本書は1990年度、徳丸町キリスト教会で毎月第四主日の夕拝での『神を愛するための神学講座』の教理説教の原稿に、若干の筆を入れたものです」。本書の著者の水草修治先生が練馬の大泉聖書教会の牧師であった頃、神学校の同級生であった山口陽一先生が奉仕されていた板橋の徳丸町キリスト教会で語られた説教が一冊にまとめられたのでした。その後、『神を愛するための神学講座』は第四版まで版を重ね、A5版のブックレット型になり、手軽な作りながらも本格的な教理の教科書として広く読み継がれてきました。
それから30年を経て、この度、水草先生による『新・神を愛するための神学講座』が出版されることを心から感謝し、御名をあがめています。一読して抱いた感想は、30年前から一貫して変わらない水草先生の神学姿勢と、より拡がり、深まった組織神学各論の実りを示していただいたという思いです。そして前著が30代の頃の神学的成果であることを思うとき、その時にすでに水草先生の神学的骨格は出来上がっておられたのだとも思います。
 この間、水草先生は練馬から八ヶ岳の麓の長野県南佐久郡小海町での開拓伝道、そして数年前から北海道、苫小牧に移られ、伝道牧会とともに北海道聖書学院の教師として組織神学を講じておられます。教会に身を置いて伝道と牧会の中で神学し続ける先生の姿は、「神学」というものの本来の姿を示すとともに、先生ご自身が「神を愛するため」に神学し続けておられることを証ししてくださっています。
この度の『新・神を愛するための神学講座』は、雑誌『舟の右側』での連載がもとになっていますが、前著と比べてみて印象に残ったのは点をいくつか記します。
 まず「序章」について、ここは著者の面目躍如の箇所と思います。神学が思弁や抽象の学でなく、生ける神の語りかけに対する、有限な人間の精一杯の応答であることを教えられました。神学の学問性ということがしきりに強調される昨今、あらためて「神を愛するため」は肝に銘じたいと思います。
 次に「序論」と「神論」の論じ方の変化です。前著はかっちりした伝統的な神学議論でしたが、今回は緩急自在な論理展開になっていて興味深いところです。
 また創造論については字数を割いて論じられています。昨今の福音派における聖書論、創造論を巡る議論を念頭においたもので、提示されている論点はこのテーマについてのよい整理となるでしょう。
 本書において最も充実した章は「人間論」でしょう。特に水草先生がこれまで様々な媒体で論じてこられた「神のかたちであるキリスト」の議論がまとめられていて有益です。
 水草先生の神学の特色は、歴史的な神学議論を十分に踏まえつつも、それらの特定の論を前提とせず、絶えず聖書をメガネにして考え、論じる点にあるでしょう。「真理の源泉は聖書にあり、どこまでも聖書が真理の物差しです。その説が正しいかどうかは、その説を唱える学者が有名かどうかとか、現代の学界で流行しているかどうかではなく、その説がどれだけ聖書の教えにかなっているかどうかが肝心なことです」(水草ブログ)と述べておられるとおりです。
 私が水草先生に初めてお会いしたのは、先生が大学進学で茨城に来られ、土浦めぐみ教会に集うようになられた頃、当時私は小学校2年生か3年生ぐらいだったと思います。中学の終わり頃、牧師であった父の闘病中の病室に先生と二人で泊まり込んで、百人一首の歌の解説をしていただいたことなどを思い出します。
 以後、神学生時代から牧師になって今に至るまで、いつも先生から教えられ続けて来ました。そして先生が『神を愛するための神学講座』の最初の教理説教をなさった徳丸町キリスト教会(当時の牧師は山口陽一師)で、いま自分がお仕えしているのも不思議な主の導きと思っています。私もまた自分なりに教会に仕える神学を、神を愛するための神学を続けて行きたいと願い続けていますが、その道の先にいつも水草先生が歩んでおられることを感謝しています。
本書を手にされた方が、神を愛するために神を知り、神を知ることでますます神を愛し、崇め、従うものとなって行かれますように、心から願います。