苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

生ける神を愛するための生きた知識  

  北総大地キリスト教会会員の永瀬哲也兄が、『新・神を愛するための神学講座』の書評を書いて送ってくださいましたので、ここに掲載させていただきます。要望されている事項索引は、出版のときに作ろうかなと思って手を付けたのですが、とても面倒な作業で断念したんです。

 

生ける神を愛するための生きた知識

 

組織神学を学ぶテキストとして必要な知識が、整えられた構成で記されています。読者を魅了するのは、その知識の豊かさと分かりやすさだけはありません。筆者はまず「神学とは何か」「なぜ教理を学ぶのか」という前提を問います。その答えが、書名があらわす「神を愛するため」であり、この姿勢が全体を貫いています。「神を愛する」、そこにある骨太さと繊細さをもって、読者に語りかけています。これが魅力です。神が人と親しい交わりを持ってくださったことを受けて、筆者は読者に生ける神を愛することを伝え、読者はそれを受け取り考えるという交わりがあるように思います。そこには、生きた知識があります。

「生きた」とは、ひとつには、知識の羅列や紹介に終わらない丁寧で広い視野を持って語っていること。そのうえで、人間という有限な存在が聖書から知り得る限りという限界をわきまえつつ、キリスト者が立つべき位置を明らかにしていることです。立つべきではない考え方や主張についても、それの背景や原因をていねいに述べています。それによって、人が神を正しく知ることに限界や誤りがあること、それにもかかわらず歴史の中で聖書を通して与えられる神についての知識が豊かな恵みであることを教えられます。

「生きた」のもうひとつは、実践への適用です。歴史の中で、また今現在の世界で、日常で、政治や経済について、聖書を判断基準として見ることについて語っています。このこともまた、生ける神のことばが、今を生きる私たちに与えられたものであることを実感させてくれます。

私が旧版の「神を愛するための神学講座」を手にしたのは、2004年です。教会の牧師が「教会形成の土台をつくるのは教理教育」という方針を示し、以前は子どもだけが対象の教会学校で成人が学び始めてから最初の本格的な教理テキストでした。今振り返っても、このテキストが、教会が成長する土台を作ったと思います。「新・神を愛するための神学講座」を読んでいた昨年、その牧師が赴任して25周年を記念する短いときを礼拝後に持ちました。この間の教会の成長、ささやかながら私自身の成長、その土台を作ってきた教理教育の地道な継続、それらすべての感謝を神に捧げつつ、「新・神を愛するための神学講座」を読む喜びを新たにしました。

最後に一つ贅沢を言わせていただければ、巻末に索引があればいいと思います。言葉の意味を調べたいときに、目次だけでは分からないこともあります。全部の箇所を抜き出すのが煩雑であれば、特に解説をしている部分だけを示していただければ助かります。

(★★★★★)

2023年3月10日