苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

山口陽一先生による書評『新・神を愛するための神学講座』

友人の山口陽一先生が書いてくださった書評です。「舟の右側」誌掲載のものです。アマゾンで手に入ります。



 「要するに」が口癖の水草先生は、煩雑な議論を咀嚼してまとめてくれるので、ややこしいテーマも、スッと理解できて、ありがたいことこの上ありません。私が牧師として仕えていた徳丸町キリスト教会の1990年度の夕拝で、神学校の同級生である彼に教理説教をしてもらい、これを71頁の小冊子にしたのが『神を愛する神学講座』第一版でした。翌年には125頁の増補版ができ、94年の手作り第三版を経て、2000年の第四版(189頁)できちんと製本され、ウェブ掲載、雑誌『舟の右側』連載と、その後の大幅な加筆により、この度、591頁の大著となりました。地方の教会の伝道と牧会、そして神学教育30年の研鑽の集積です。

 神学は難解と思っている読者は、認識を一変させられるでしょう。被造世界の多様性と統一性を、著者はこんなたとえで説明します。「おにぎりは強く握りすぎると団子のようになって美味しくないし、弱すぎるとバラバラで食べにくいものです。存在論的にすぐれたおにぎりとは、一体性を保ちつつ、しかも、一粒一粒のお米が生きているものです。大切なのは多様性と統一性のバランスです」(161頁)。水草先生は親しみ易い修辞の達人です。

 哲学から組織神学に進み、歴史神学にも造詣が深い彼は、用語の定義が確実で、論理は明快、教理史の把握も的確で、印象に残る言葉を随所に見出します。たとえば、ヨハネ福音書冒頭の「神とともに」は「神に向かって」が適当(140頁)など、聖書翻訳への言及。「贖罪論」ではなく「贖い論」、「古典説・劇的説」を「対悪魔勝利説」と言い換え(316頁)、「国家」ではなく「俗権」(506頁)を用いるところなどです。父・子・聖霊の神(123頁以下)、人間の構成について二分説と三分説を語るところ(229頁以下)、予定論論争をどう考えるか(263頁以下)などの整理の仕方は抜群です。また、古代教父の教えを継承した「『神のかたち』のかたち」としてのキリスト論的人間論が、聖書理解の鍵として一貫して展開されています。聖定のゴールを見定めること(147頁)とか、試練が神の民の成熟にとって重要(203頁)などの視点、「偶像の前にひざまずき拝むことは愚かである。人間は、むしろそれらを治めるべきである」(158頁)、十字軍精神でなく十字架につけられた精神(312頁)など、深い洞察から紡ぎ出された言葉の数々が心に残ります。

 しかし、何と言っても眼目は、バランス良く神学の全体を実践的に語り尽くす総合力です。聖書の啓示の特徴とその解釈のあり方を示し、特定の神学に拘泥せず、一貫して聖書から「神のご計画の全体」を学ぶ助けとなりたい、これが本書のめざすところです。

「創造記事と進化論」(165頁以下)や「サンダースとライトの義認解釈」についての付説(369頁以下)などは、今日的必要から、突っ込んだ議論がなされており、創造の六日間の「日」の解釈にも独自の意見を述べて、怯むところがありません。サン・ヴィクトール修道院のリチャードの三位一体論は、第4版でも紹介がありましたが、理解が一新されており、思索の深まりに主の御名をあがめました。

 本書は、日本人による福音主義神学の組織神学として待望された著作と言えるでしょう。これが多くの方々に読まれ親しまれ、これを巡る議論が交わされ、『新・神を愛するための神学講座』が、神学の公共財としてさらに成熟して行くことを願ってやみません。

東京基督教大学学長 山口陽一)