苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

すべての造られた者に

エスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15

 「苫小牧通信」の折込み配布毎月1万枚は、こちらに赴任してから続けてきたのですが、90800戸には遠く届きません。それで、何かこう「すべての造られた者に」というのにお答えしていないなあという不全感がありました。それで、新聞折込をしていない地域に、昨年4月から11月、雨の日以外、朝飯前に足で配りました。地図で見ると四分の一ほど配ったでしょうか。そして、今年も寒さが緩んできた4月に再開しました。
 新聞折込の場合、ズバリ福音!という記事を書くと、「宗教と政治はダメ」というルールに引っかかって折り込んでもらえませんから、題名と最初の文章は一般的な内容を書くように工夫しなければなりません。たとえば、「安全カボチャ切り器」「かわやの話」「ご卒業おめでとう」「狭き門」「滑り止め」などという題で、なんとかみことばにこじつけていくわけです。でも、自分で配るのであれば、遠慮なしに伝えたい福音をズバリ伝えることができます。今配っているのはヨハネ福音書3章16節の解説文です。
 足で配って気づいたのは、新聞を取る家がほんとに少なくなっているなあということです。インターネットとTVニュースで十分だという人が多くなったのと、新自由主義経済政策=貧富格差拡大政策によって新聞を取る余裕のある家が少なくなったからでしょう。新聞を取っている家は、経済的余裕のある高齢者の家だけという感じです。ですから、そうでない家に福音を届けようと思ったら、自分で配るしかありません。共働きで昼は家に誰もいませんし。でも、新聞がポスト入っていないと、「苫小牧通信」を入れやすいので助かります。
 昨年は一人で配ってましたが、自分も配りたいという3人出てきたので、ときどき昼に一緒に配ったり、地域を分担したりしています。家内に言わせると、「福音の通信を配っていると、精神衛生上、良い」とのこと。わかるなあ、という感じ。それに、いっしょに配ると独りで配るよりも楽しい。
 副産物としては、毎日1時間ほど歩くと腰をはじめ体によいということ。それに折込だと一枚3円かかりますが、手配りならばタダです。タダで、福音が伝えられて、健康によくて、楽しかったら、こんなにいいことありません。