苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

父の回心のこと

 苫小牧は今朝17度。久々に晴れたので、散歩に出かけることができました。一時間ほどぐるぐる回って福音通信を配り、いい汗かいたなという感じ。
 歩いた地域は矢代町という国道6号沿いの地域です。また一つお寺を見つけました。陽願寺といいます。調べたら浄土真宗大谷派なのだそうです。少し東で前に見たのは本願寺派正光寺でした。なんで同じ浄土真宗が二つに分かれているのかなあとググったら、織田信長に徹底抗戦するか、和睦するかで意見が割れたことが原因なのだそうです。
 浄土真宗の信者(門徒という)は日本でもっとも多いそうです。なぜでしょうか?「善人なおもて往生を遂ぐ 況や悪人をや」という親鸞の驚愕の宣言に心をとらえられる人が多かったということなのでしょうか。私はキリスト者になってから『歎異抄』を読んで驚いたり、倉田百三の『出家とその弟子』を読んで福音書みたいだなあと感じたりしたものでした。


 実は、ぼくの神戸の実家はもともと浄土真宗門徒で、父は長男だったので黒い仏壇がありました。黒いのは本願寺派なのだそうです。父は僕がイエス様を信じて洗礼を受けた翌年に母と一緒に洗礼を受けてキリスト者となりました。時に50歳でした。回心した父はただちに親戚のいる広島福山市北九州市に出かけて、自分がキリスト教徒になったことを話してまわりました。父は広島福山の水草家の長男で本家だったので、挨拶して回ったのです。当然、父は叔母からなじられました。キリスト者になった父は、息子の目から見て、それほど強い信仰の人、模範的キリスト者ではありませんでしたが、キリスト信仰を得て後の、親戚に対する潔い信仰表明は立派だったなあと思っています。
 洗礼の三年後53歳で父は天に召され、キリスト教徒として葬儀をして、教会墓地に埋葬しましたが、なんのトラブルもありませんでした。信仰の旗幟鮮明は大事なことだと思います。


「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」(マタイ10:32-34)