苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

黒人差別撤廃、フェミニズム運動、包括主義性教育、同性婚推進運動の共通の背景:フランクフルト学派・・・「ジェンダーを理解する」メモ2

 昨日うかがった講演で、私にとってもっとも興味深かったのは、第2回目の講義で今日のジェンダーをめぐって世界が同期された動きをしている背景とフランクフルト学派の社会哲学と戦略についてでした。忘れないうちにメモしておきます。

 1917年ロシア革命が起き、東欧は共産化されたが、西欧先進諸国では共産主義革命が成功しなかった。そこで西欧先進国で革命の戦略を立てることをめざす一群のユダヤ人哲学者たちがいた。これは世界に新マルキシズムによる平等な社会を普及させるための社会哲学の研究、運動だった。「すべての人は平等であって、差別は最大の罪である」という情念が根本にある。ヨーロッパ社会で差別・抑圧されてきたユダヤ人たちの社会哲学といえる。
 しかし、ヒトラーの弾圧をのがれるため、彼らはコロンビア大学教育学部に拠点を移した。彼らは教育を通して世界にマルキシズムの浸透をはかる。その理論がクリティカルセオリーである。その方法は、社会において抑圧者と被抑圧者の対立関係があるとしたら、被抑圧者に被害者意識を持たせ、掻き立て、結集し、「平等こそ真理であり、差別こそ罪の中の罪である」という根本的価値観をもたせて運動させるということである。
 社会の中で抑圧されている人々として、彼らが目を付けたのは、まず黒人をはじめとする人種差別を受けている人々で人種差別反対運動、次に中絶合法化を目指したフェミニズム運動~包括的性教育運動、こうした背景から1980年台から同性婚の合法化を目指す同性愛運動。そして、これらを統合することによって、力強い運動を展開するということである。今や西洋の大学の教育思想は、ほぼ100%クリティカルセオリーに支配されていて、こうした教育思想は世界で連動していて、日本性教育協会もそのネットワークの中にあり、日本の公教育では保健体育の先生たちは、ここで包括主義性教育の教育を受けて各学校に持ち帰って教えているという現状である。この同性愛合法化運動をしている諸団体は、マスメディア、出版、ネットなどを常に監視していて、意に反するものがあれば攻勢をかけてつぶしている。この運動を展開しているクリティカル・セオリーのポイントは以下の通りである。
●普遍的真理を拒絶・・・多元主義
●メタナラティブ(その社会の信じている大きなストーリーであるキリスト教的世界観、イスラム教、ユダヤ教など)の解体する。
●ミクロナラティブ(小さな集団のストーリー)を強調する。
●インターセクショナリティ・・・抑圧されたミクロ集団それぞれの怒りを統合して影響力をたかめる。

 

<以下、水草の感想>
 以上、概略ですが、私が持った感想は、欧米で少数者として長年抑圧されてきたユダヤ人たちの中の、一切の差別のない社会を実現したいという願望・怨念がここにきて世界を動かしていることに驚きました。白人至上主義者の人種差別を批判するためにクリティカルセオリーが用いられたのはよしとして、おなかのなかの無抵抗な胎児を権利を無視して女性の権利のみを主張するために、あるいは、神の戒めに反する性行為を合法化するために、クリティカルセオリーが用いられるとなると、これは問題です。

 聖書には確かにみなしご・やもめ・在留異国人といった抑圧されがちな少数者・社会的弱者をたいせつにせよと教えられていますが、少数者のすることならばみなOKとも教えず公正な裁きが大事だとしていることも、もう一方の事実です。

 また、平等は一つの良い点ではありますが、聖書は絶対平等主義を教えていないことも事実です。そもそも平等と自由というのは、両立困難な理念です。人は不平等な状態で生まれてきますし、自由にしておけばさらに不平等になりますから、確かに規制が必要です。でも絶対平等を実現しようとすると、強力な規制力をもつ政府が要請されて全体主義国家に陥ってしまいます。結論的にいえば、<ほどほどの平等とほどほどの自由>ということが、旧約聖書のヨベルの年の思想です。