苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

対岸の火事と見てよいのか

 安倍政権が、共産党を破壊防止法の調査対象と見なしていると閣議決定したというニュースを知りました。治安維持法を髣髴とさせられました。共産党が呼びかけてついに野党が共闘することに対して、なりふりかまわぬ分断作戦ですねえ。・・・まあ、もともと公安警察共産党をマークしているということはよく知られたことですが、それを閣議決定というかたちで表に出すのは、選挙をにらんでの有権者にたいする反共宣伝でしょう。
 私はキリスト者であって共産党でないから、と「対岸の火事」として見ていると、いつのまにか自分にも火の粉が降りかかって来ます。思い出すのはニーメラー牧師のことば。

マルチン・ニーメラー牧師の告白
 
 ナチス共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。

 次にナチス社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。

 それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安を感じましたが、それでもなお行動にでることはなかった。

 それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。