テモテ宣教師の講義の3で、大事なこととして印象に残ったことの一つは、LGBTのことだけに驚いたり特別扱いしないで、他のもろもろの罪(怒り、盗み、アル中、ポルノ依存、不倫、親不孝、偶像崇拝などなど)の問題と同じように扱うことが肝心であると話された点でした。
もしカミングアウトを聴いたら、他の場合と同じように、静かに受け止めて、キリストの十字架にある赦しの約束を伝え、悔い改めと信仰に導くことです。そして信仰には服従が含まれているのですから、キリストを信じたら、牧会者自身も罪から救われた者にすぎないのですから、罪を離れてキリストを目指してともに生きようということ、という話でした。回心まで長い時間がかかるという覚悟で。また、聖化は生涯続くことです。愛と忍耐が必要だ、とも。
あと教会の兄弟姉妹が、このことを聖書的に正しく理解し、受け止められるように備えをしておくことが大切だとも話されました。ただし、その人だけにかかずらってバランスを崩して、教会を壊さないようにということも大事です、と。受容しつつ、真理は曲げずに伝え続けること。
テモテ先生の話を聴いて、私は第一コリント書にある神の国を相続できない人々のリストを思い出しました。「あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません。」(1コリント6:9,10)もろもろの罪のリストのなかに、男娼となる者、男色をする者が入っています。だからLGBTだけを特別扱いしていないということです。
これらの罪を犯してきたとしても、主イエスを信じるならば、その人はもちろんキリストの義のゆえに神に罪をゆるしていただけます。しかし、キリストを信じたといいならがこれらの罪から離れようという意思も行動もない状態の人々は、神の国を相続できないと教えているところです。キリストを信じて新生した人は、聖霊がその人のうちに住んでいるので、これらの行いから離れたいと願うようになります。ときには失敗してバックスライドすることがあっても、悔い改めてふたたび立ち上がって、イエス様に従っていこうとするものです。 ですから、イエスを信じますといいながら、その人がこれらの罪から離れるつもりもない人の場合は、「(新生のしるしが現れるまで)洗礼を授けることは待ちましょう」と話すとテモテ先生は話していました。