神は、最初アダムと創造の契約を結ばれましたが、人はこれを破ってしまい、死に脅かされながら生きるほかなくなりました。ひどく堕落した世界を神はいったん大洪水で滅ぼされましたが、その後ノアに対する平和の契約によって、今日までこの世界を保ってこられました。そして神は、アブラハム、モーセ、ダビデに契約をお与えになりました。その共通主題は「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」です。三つの契約にはそれぞれ特徴があって、王国時代に当面の成就を見ますが、キリストにあって真の成就を見ることになります。
1 アブラハム契約
神がアブラハムに約束されたのは、彼の子孫が多くの国民の父となり、地を相続するということでした。それでアブラハム契約は<相続の契約>と呼ばれます。「あなたは多くの国民の父となる。」(創世記17:4)「わたしは、・・・カナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」(創世記17:8)
アブラハム契約は、当面、子孫イスラエルがエジプトからカナンの地に戻り、この地を相続することによって成就しますが、やがてイスラエルの不従順によって相続地は失われてしまいます。
しかし、アブラハム契約はキリストにあって世界規模で成就します。つまり、キリストを信じる者は国籍を問わず信仰によるアブラハムの子孫となり、世界が相続地となるのです。「そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。『わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした』と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。」(ローマ4:16)
全世界に福音と教会が拡がってきたのは、アブラハム契約の成就です。主が再臨されるとき、この約束の成就はさらに明らかになり完成されます。「柔和な人々は幸いです。その人は地を相続するからです。」
2 シナイ契約
神はモーセに<律法と幕屋の契約>を与えました。シナイ契約です。幕屋とは神がその民の中に住んでくださることのシンボルです。では、律法とはなにか。律法とは神とともに生きるのための基準です。ところが、イスラエルは律法を破り、紀元前6世紀には滅びてしまいます。その時代、神様は預言者エレミヤを通して、新しい契約についての予告をお与えになりました。
「31:31 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。 31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。──【主】の御告げ── 31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 31:34 そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──【主】の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」
(エレミヤ31:31-34)
「11:19 わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 11:20 それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」(エゼキエル11:19、20)
新しい契約のポイントは、旧約時代には石の板に刻まれていた律法を、「心」の板「肉の心」に刻んでくださるということです。これは、契約はキリストにあって成就します。キリストは「人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)とありますが、この「住まう」と訳されたことばは「幕屋をはる」と訳されることばです。荒野でモーセが幕屋を完成したとき、栄光の雲が幕屋に満ちて、神の臨在が現れたように、キリストは人となって地上に幕屋を張ってくださいました。
そして神は、律法を石の板ではなく、聖霊によって人の心の板に刻むことによってシナイ契約を成就してくださいます。「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。」(2コリント3:3)
聖霊によって心の板に律法を刻まれると、かつて偶像崇拝を善行だと思っていた人は、創造主のみを礼拝すべきだと願うようになり、今までカネが一番大事だと思っていた人は、神を愛し、隣人を愛すること望むように変えられます。モーセに約束された契約を、イエス・キリストが受肉し聖霊を注ぐことによって成就されたのです。
3 ダビデ契約
モーセの時代からさらに500年ほど下って、およそ紀元前1000年、神はダビデ王に契約をお与えになります。ダビデが神殿建設を志したときのことです。
「主はあなたのために一つの家を造る。あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。」(2サムエル7:12-14)
約束の内容は、<ダビデの子孫が王国を確立し、その王が神殿を建てるということ>です。主の約束はダビデの子ソロモンが神殿を築いて当面成就されますが、ソロモン死後、王国は南北に分裂して王国は滅びます。アブラハム契約、シナイ契約と同じように、それは当面イスラエル民族という狭い枠のなかで一応成就したかに見えるのですが、結局、人間の罪ゆえに破綻してしまいます。
しかし、このダビデ契約はキリストにあって、真の成就を見ることになります。ダビデの王座は地上から天上に移されました。すなわち、キリストは死んで三日目によみがえり、昇天して父なる神の右に着座されました。そして、ペンテコステに神の民に聖霊を注いで、神殿としての教会を築かれたのです。聖霊が注がれたペンテコステの日、使徒ペテロはダビデの詩篇を引用しつつ、今目の前に起こった出来事はダビデへの約束の成就であると語ります。
「2:25 ダビデはこの方について、こう言っています。
『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。
主は、私が動かされないように、
私の右におられるからである。
2:26 それゆえ、私の心は楽しみ、
私の舌は大いに喜んだ。
さらに私の肉体も望みの中に安らう。
2:27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、
あなたの聖者が朽ち果てるのを
お許しにならないからである。
2:28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、
御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。 2:30 彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。 2:31 それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。
2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。 2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」(使徒2:25-33,エペソ4:8-16も参照)。
聖霊が注がれ、あらゆる民族国語を超えた新約の神の家が建てられたのです。「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:22)
キリストの王国である教会は、世の終わりまで続き、世の終わりに完成します。主イエスのご在世当時栄えたローマ帝国をはじめ、その後もいくつもの国が栄えては滅びてきましたが、キリストの王国である教会は二千年にわたって世界中に広がってきました。そして、再臨まで永続し完成します。
4 キリストによる契約の最終的成就
以上のように、創造の契約に始まり、ノアの平和の契約によって保たれている世界で、アブラハムの相続の契約、モーセの律法と幕屋の契約、ダビデの王国の契約は、キリストによって成就しました。つまり、キリストが受肉し、十字架と復活によって贖罪をなしとげ、天の御座に着座し、天から聖霊を注いで世界に広がる神の御住まいである教会を建設されることによってすでに原理的には成就したのです。
しかし、主の御国はいまだ完成したわけではありません。完成するのは、主が再び戻られて新しい天と新しい地が造られるときです。完成の日、あの契約の主題が高らかに叫ばれます。
「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。』」(黙示録21:3)