会堂2階洗面台の水道管が凍結・漏水し、1階牧師室が水浸しになり、隣接する礼拝室の床四分の一ほどまで濡れてしまいました。昨日、2階トイレの上水道が凍り付いて出なくなった問題が解決した件、レポートしましたが、本日午後、伏兵にやられてしまいました。
午前2回の礼拝を終えて、自宅で昼食をしておりましたら、会計ご奉仕をしている3姉妹から電話がありました。「先生、牧師室の天井がジャアジャア雨漏り状態です!」と。家族3人で大慌てで行ってみると、牧師室の天井からかなりの勢いで雨漏りしています。「ナンジャコリャア!!」
姉妹たちが必死で、濡れてしまったたくさんの本とかパソコンとかプリンタとかを隣の礼拝堂に運びだしてくださっています。すでに水落スイッチを「止める」にして、この作業をしてくださっていました。ほどなくH兄と東頭先生も来てくださり雑巾と新聞紙で床拭き作業をし続けました。
すでに水道の元栓は止めたのですが、牧師室と礼拝室の床を拭いてもふいても、なお天井のジプトーン石膏ボードの隙間から水が落ちてきます。これは相当天井裏に水がたまっているようです。 天井裏に入らなければ、水の元に対処できないので、脚立を立てて牧師室から天井に上がる40センチ角ほどの小さな口から入ることにしました。本棚をよけて入り込んでみました。懐中電灯で照らしてみたら、天井裏にはグラスウールがびっしり敷き詰められていて、その下が水浸しです。グラスウールを引きちぎりつつ、穴から下に出すと、天井の裏が深さ1センチほど深さ、1畳半か2畳ほどの範囲が水たまりになっていました。
パイプルームを通って下から垂直に上がってきた水道管は、天井裏の空間で、直角にまがって水平に1.5メートルほど行き、さらに垂直に立ち上がって、洗面台につながっていました。その水平部分が凍り付いたということのようです。たしかにアルミテープが巻かれた、そのパイプが滴に濡れているのが、水が噴き出たしるしです。ここ数日の急な冷え込みで、ここが凍ってひびが入ってしまい、それが少し寒さが緩んだ日曜日、建物が暖かくなったせいでしょう、溶けて水が噴き出したようです。
幸い天井の裏は木の枠でいくつにも仕切られて、その枠にジプトーンの天井材が打ち付けてありますので、1.5畳分程度の枠に水たまりになりましたが、それを越流していなかったので、その分のグラスウールを取り外して拭き掃除をして、あとは乾燥を待つことですみそうです。
もう一つ幸いだったのは、礼拝後、会計の三姉妹がいてくださって発見が比較的早かったことです。もし発見が遅れて、明日か明後日私が会堂に行っていたら、もうとんでもないことになっていたでしょう。
さらにもう一つ幸いだったのは、娘が言っていたのですが、水浸しに対処してくださった三姉妹も駆けつけてくれた兄弟も、東頭先生たち、えらいこっちゃと言いながら、妙に楽しそうにしてくださったことでした。あまりにもたいへんすぎて、笑えてしまうという状態でした。
びっくりしたのは、喜寿を迎えられた東頭先生が、身軽に脚立を登って天井裏入口に立たれて、私と一緒に天井裏での排水作業をしてくださったことです。私が「ぼくは、いつかあの穴から天井裏に入りたいと思っていたんですが、それが今日かないました。」というと、先生も「わたしもこれを見るのは初めてだよ。」と笑われました。
今朝、イザヤ書41章から、「今年、どんなことが私たちを待ち受けているか、私たちにはわかりません。けれども、主は『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。』とおっしゃいます。」と説教したところだったのですが、まったくこんなことが待ち受けているとはびっくりでしたが、主がともにいてくださることも感じた出来事でした。
さて、床と天井裏が乾いたら、運び出されたかなりの量のびしょ濡れの書類と本とを片付けることと、電子機器類が十分乾いたら使えるかどうかを確かめることと、天井裏の工事とをこれからすることになります。
「一生忘れられない、面白い正月になったわ。」と娘が笑っていました。
*教訓
凍結に関する教訓としては、水落しをしても水が出ない上水道は、「使わなければいいや」で済ませてはいけません。そのまま何年も放置すると、何年か後にひびが入ってひどい目に遭います。小さな問題だと捨て置くと、長年のうちにはナンジャコリャア!という大きな問題となって破綻する。これは、水道だけの話でなく、人生のさまざまな局面について言えることですね。