王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」
王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」2サムエル18:32,33
今朝、聴くドラマ聖書で、息子アブサロムの死を嘆く父ダビデの場面を味わった。聴き応えがあった。サムエル記上下は聖書全体の中、軍記物で平家物語を読んでいるような臨場感があると以前から感じていたが、こうして名優たちのドラマ仕立てで聴いてみると、ますますそういう思いがする。いや、考えてみれば、クリスチャン各自が聖書を一冊ずつ持って自宅で読むなどというのは、長い神の民の歴史においては最近の現象であって、聖書というものはもともと教会にあって、その朗読を聴くものだったのである。