苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

バルナバ―新約聖書成立の功労者

 「しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」(使徒9:27)

 「主は別として、新約聖書の成立に最も功のあった人物は?」と問われたら、ほとんどの人は使徒パウロの名を挙げるでしょう。実際、新約聖書27巻のうちの14巻はパウロの筆によるのですから、それは正解でしょう。けれども、ふと私は使徒の働きの9章と15章のバルナバの記事を思い起こして、大切なことに気づきました。

 教会迫害の急先鋒だったパウロは、ダマスコ門外でキリストに出会って回心しました。そのあとアラビアでしばらく過ごした後、彼はエルサレムの主の弟子たちの仲間に入ろうと試みましたが、皆は彼を恐れて受け容れようとしませんでした。この時、バルナバパウロの保証人となって、教会の人々に紹介したのです。その後、主がサタンから取り上げたパウロを飛車として自在に用いて、どれほどキリストの福音のために働かせたかは、ご存じの通りです。

 バルナバパウロは世界宣教のゴールデンコンビとなりましたが、使徒の働き15章37-41節に彼らが若者マルコの問題で、コンビ解散となった記事が記されています。先の伝道旅行でマルコはその使命を放り出して逃げ帰ってしまったことを指摘して、パウロはマルコのような覚悟のない奴は見込みがないと断じました。しかし、バルナバはマルコを受け入れ忍耐と寛容をもって育て上げました。後日、パウロはマルコのことを、「主に役立つ者」と評価しています(2テモテ4:11)。パウロバルナバの前に兜を脱いだのです。そして、このマルコが、最古の福音書を書くことになるのです。そして、他の三つの福音書は、マルコ福音書を前提として書かれています。

 パウロとマルコという、タイプはずいぶん違いますが、難しい人を受け入れたのが、懐の広いバルナバでした。受け容れて、彼らを神の国のために活かしたのです。もしバルナバがいなかったら、新約聖書はなかったとさえ言えるでしょう。そう考えると、バルナバは二千年間のキリスト教会の大恩人です。私たちは、自分が直接に用いられずとも、他の人を受け容れ活かすことによって、主のために大きな奉仕をすることができることをバルナバに学びます。