今、伝道者になって初めて「使徒の働き」の連続講解説教をしている。新約聖書に関して言えば、福音書とほとんどの書簡群については礼拝説教か祈り会の聖書研究で順々に説き明かしたことがあるのだが、「使徒の働き」の抜粋でなく連続説教は今回が初めてである。「書簡群の背景をしっかり知って釈義するために、それに先立って『使徒の働き』をまず連続説教するとよい。」とおっしゃったのは小畑進先生だったが、おことばに従わないで今日まで来てしまった。
そうしたら、先の主の日、篠原兄が「この漫画は聖書的でいいですよ。」とおっしゃって、ケリー篠沢さんの漫画で描かれた本書を貸してくださった。以前、同じシリーズの福音書は読んだことがあったがあまり印象に残らなかったので、さほど期待せず読み始めた。ところが、「使徒の働き」は読み進むほどに、引き込まれてしまった。実におもしろい。
なにが面白いのか? 一つはバルナバ、パウロが訪ねる小アジア、マケドニアの町々の風景がなかなかよい。特に私にはルステラでバルナバとサウロが、神々として祭られてしまうというくだりのゼウス神殿の祭司の登場は、ほほうと参考になった。
また聖書本文に忠実でありながら、ただ漫画に置き換えたというのではなく、正確に釈義された上で、適切な解釈がほどこされて人物描写・心理描写がなされていて、登場人物が活き活きとしていてなかなか魅力的なのである。この種のものにありがちな脚色ではなく、解釈の範囲にとどめているところがよいのである。
一例を挙げてみれば、パリサイ人サウロが回心にいたる経緯のなかで、彼の脳裏から殉教者ステパノの最期の祈りが離れなかったのだと、サウロの心理過程の解釈が記されている。ステパノの祈りとは、石打ちにされながら、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ととりなし祈った、あの祈りである。私も、行間について同じ理解をしていたので、なるほどと思ってしまった次第。(参照2010年3月21日http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20100321)
また、ちょっと意外感があったのはテモテの人となり。パウロから信仰による愛するわが子と呼ばれた模範的献身者、後に、牧師としてストレス性胃炎になってしまったちょっとまじめすぎるところある人物というのが、通例のテモテ像のように思うが、本書ではイケメンでユーモアのある青年として描かれている。逆に、いかにもと思えたのはヨハネ・マルコ。彼はパウロの同労者である大人物バルナバの甥にあたる青年で、エルサレムの金持ちの坊ちゃんである。青年らしい志をもって、バルナバとパウロの第一回伝道旅行に同行するが、途中でこのいのちがけの奉仕に怖気づいたのか、逃げ出してエルサレムへと帰ってしまった。後に第二回伝道旅行で、バルナバはもう一度マルコにチャンスを与えて同行させようと主張するが、パウロはとんでもないと反目になり、結局、バルナバ―パウロというゴールデンコンビは解消となってしまう。このまんが聖書ではそういう育ちのよい、でもひ弱なところのあるマルコがよく描かれている。そのマルコは、後に主の役に立つ人となって福音書記者として用いられることになる。
この漫画はお奨めである。