バルナバがいなければ、パウロが初代キリスト教会に受け入れられることはなかったでしょうから、新約聖書の多くを占めるパウロ書簡がなかったことになります。
またバルナバがいなければ、マルコは役立たずとして用いられることなく終わったでしょうから、マルコ福音書はできず、共観福音書も成立しえなかったでしょう。
バルナバという人物は、彼の書き残したものはありませんけれど、新約聖書成立のために、きわめて重要な働きをしたことになります。それは、彼が「慰めの子」と呼ばれる寛容な人物であったことによるのでしょうね。
ふと思ったのですが、パウロが「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。」と口述したとき、彼の脳裏にはバルナバがあったのではないか、と。