ローマ8章28節で一つ気になることが見つかりました。
新改訳第三版では「神を愛する人々、すなわち、神の御計画にしたがって召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」だったのを、2017では「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」と改めました。
気になるのは、文の後半の「神はすべてのことを働かせ」が「すべてのことがともに働いて」となったことです。つまり、「神は」という主語がなくなり、「すべてのことが」が「ともに働く」の主語となっているのです。
ところが、「すべてのこと」pantaは複数(主格または対格)なのに、「ともに働く」はsynergeiと三人称単数現在です。三版までは「神が」が単数の主語だったから問題なかったのですが。
そういえば、ギリシャの哲人ヘラクレイトスのことばに、<panta rhei(パンタ・レイ)>つまり、「万物は流転する」という有名なことばがあります。pantaは複数、rheiは三人称単数現在です。現代ギリシャ語ではそういうことはないのですが、古いギリシャ語のばあい、主語が中性名詞の場合、複数形でも動詞は単数形をとるという法則があるとのこと。これで2017の翻訳の文法的根拠がわかりました。