ローマ8章28節を、口語訳と新改訳第三版までは、「神が」を主語として補って訳してきました。というのは、「ともに働くsynergei」が三人称単数であって、「すべてのことpanta」は複数であるから、「ともに働く」の主語ではありえないからです。
新改訳3版
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべての事を働かせて益としてくださることを私たちは知っています。
しかし、大正改訳、新共同訳は、「神は」という主語を補うよりも、破格ではあるけれどpantaをsynergeiの主語としたほうがよいと考えたのでしょう。
明治訳
また凡の事は神の旨に依て召れたる神を愛する者の爲に悉く動きて益をなすを我儕は知り
大正改訳
神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。
新共同訳
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
そして2017は大正訳、新共同訳と歩調を合わせています。
新改訳2017
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
ところで、大正改訳の「相働く」はいい訳だなあと感じます。私のイメージでは、あのこと、このこと、そのこと、いろいろなことが上手に組み合わせられて働くという摂理をよく表現しているなあと思うわけです。
もっとも、口語訳では「召された者たちと共に働いて、万事を益となる」とあって、神とクリスチャンがともに働くというふうに訳しています。これはちょっと違うんじゃないか、と思います。