大学時代通った土浦めぐみ教会の午後5時から2時間ほどの夕礼拝は読書会だったのですが、その教材が当時は、この本でした。誰かが係りになって、順々に最初から最後まで引証聖句を丁寧に開きながら読み通しました。
私の最初の神学の教師は、神戸の増永俊雄牧師で、初心の1年間、手紙のやり取りを通してご指導をいただきました。それは神の主権性を車輪の軸として諸教理を円満に配置するカルヴァン主義的神学でした。
シーセンという人は、バプテストの聖書学が専門の人だったそうですが、神学校では組織神学も講じていたそうです。そのノートが彼の死後、まとめられて本となったものです。英語ならば今も手に入りますし、本文はネット上に無料公開されています。神学的傾向はいわゆる穏健カルヴァン主義で、TCC(東京基督教短大)は標準教科書にしていたようです。聖書神学舎もそうでしょうか?朝岡先生はほんとうは、ご自分が若い日に聖書の体系に目が開かれたL.ベルコフ『改革派神学通論』を読書会に用いたかったのですが、絶版だったので、やむなくこちらにしたそうです。
バプテストの信仰の特徴は、伝統的教義学や信条や教会制度といったものをさほど重視せず、素朴に聖書そのものを読んでそれを通して神と結びつこうとするところにありますが、本書にはその特徴がよく表れています。ある主題について、古代教父、ローマ教会、ルター派、改革派のC.ホッジやシェッド、自由主義神学の教えなどを簡単におさらいして、最後に、聖書はなんと教えているかという論述の仕方をします。
シーセンの論述にはあまり「透徹したもの」とか「神学的構想力」とか「実存的すごみ」というものが感じられず、不満を持ちながら読んだ記憶がありますが、「誰が何を教えようと、どんな学説が流行していようと、結局は聖書が何を言っているかだ」というバプテスト的な素朴な考え方に関して、私はシーセンに強い影響を受けていることに最近気づきました。そして、そのことを感謝しています。(そのシーセンがディスペンセーショナリズムを語るにあたっては、聖書釈義をすっ飛ばしてしていたのは意外でし
たが。)
「もう古い」と言われて、ほとんど読まれなくなってしまった本ですが、今もあの教理の根拠となる聖書箇所は・・・というときに開いて役に立つ本です。