苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

牧田吉和『改革派教義学7 終末論』

 家内が誕生日に贈ってくれた牧田吉和『改革派教義学7 終末論』を読み終えた。改革派組織神学的な思考のあり方というもののお手本のような論述だった。という意味は、一つには聖書の行くとことまでは徹底的に思いめぐらして行き、聖書が立ち止まる所で立ち止まるという態度。一つには連続性(類似性)と非連続性(区別性)の両方を常に押えるというものの考え方。一つには、これと本質においては同じことなのだが、常に部分を全体の中で把握していくという考え方である。

 牧田先生とは、名古屋で開かれた福音主義神学会でお目にかかり、先生の発表に対する応答のご奉仕をさせていただいた時が、唯一じかにお目にかかった機会なのだが、その準備段階におけるメールのやり取りがあり、その数年後からフェイスブック上でお交わりを許されて今日にいたっている。碩学であられながら、どこまでも謙遜なお人柄とお見受けしている。

 私の改革派神学方面での第一の恩師は、増永俊雄先生(改革長老教会東須磨教会牧師)である。19歳、まだ聖書を読み始めたばかりの私に多くの手紙をもって、聖書の読み方、神学の態度、考え方を教えてくださった。神の主権を中心として首尾一貫性をもって聖書の個々の教理を体系として構成すること、そこに改革派神学があるとおっしゃった。また、世界観としてのキリスト教というものを伝えてくださったのも増永先生である。

 牧田先生は、私の聖書の見方、ものの見方がご自身と似ているとおっしゃるが、それはきっと私がキリストを信じ、聖書を読み始めたとき、最初に薫陶を受けたのがカルヴィニストである増永俊雄先生だからであると思う。