苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

古事記・日本書紀

 幼いころ、母が買ってくれた3巻本のなかに、イザナギイザナミの話とか、天の岩戸の話とか、大国主命の話とかがありました。小学生のころ、小学館の世界名作文学全集のなかに、子ども向きの『古事記』がありました。ギリシャ神話とか北欧神話とか、子どものころから好きでした。キリスト教主義の幼稚園に行ったので、あそこで教えてもらった神さまと、こういう神話の神々たちはどういう関係にあるんだろう?と子どもながら考えたりしていました。
 大学時代、「『古事記』は必読」とある先生に勧められて、日本宣教のためにも読まなくちゃと思って読みましたが、『日本書紀』は漢文体なのでずっと敬遠していました。ところが、数年前、講談社学術文庫に宇治谷さんの現代訳が上下で出ているのを見つけたので、通読してみました。
 日本書紀に関して残っている印象は二つ。一つ目は、大和朝廷というのは朝鮮半島百済としょっちゅう行き来していたんだなあということです。まるでひょいと飛行機で行ってきたよ、みたいな印象を与えるほどです。うそっぽいですが。二つ目は、日本列島はむかしから天変地異、特に地震に見舞われて来たんだなあということです。
 あ、記紀を読んでのもう一つの感想は、記紀神話は私たちになんの生きる力も与えないということです。古さで言えば聖書のほうがはるかに古く、かつ、はるかに遠い地域・文化圏で書かれた本であるにもかかわらず、二千年間、多くの絶望している人に神とともに生きる希望と喜びある人生を与え続けてきたことは、ほんとうに不思議なことです。今朝読んだ聖書にも心さぐられ、生きる道を照らしてもらいました。聖書は、実に、生ける神のことばです。
 

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