苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「良い実は良い木に」

昨日の報告です。
2020年6月14日 主日礼拝説教の趣旨
「良い実は良い木に」
   マタイ7:15-23
「7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。 7:16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。 7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。 7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。 7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。 7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。 7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。 7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』 7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」

  主のしもべの教師とサタンのしもべの教師を見分けるポイントである「実」とはなにか。それは、主イエスの名によって名説教することでも、主イエスの名によって悪霊を追い出すことでも、主イエスの名によって奇跡をおこなうことでもない。これらは偽預言者でも行いうることである。

 両者を識別するしるしとしての「実」とは、「父のみこころを行うか」それとも、「不法(律法違反)を行うか」である。
 「心の貧しい者は幸いである。天の御国はその人たちのものである」とあるように、救いはただ恵みによる。そして、恵みによって神の子とされた者たちは、律法をないがしろにするどころか、御霊と愛によって律法の要求を十二分に満たしつつ、キリストに倣って生きていくものである。