戦時中、国策によって長野県南佐久郡からはたくさんの若者たちが満蒙開拓義勇軍として派遣され、満州で農業をさせました。彼らは関東軍の兵隊さんたちが守ってくれると信じていました。ところが、戦局が悪化しソ連軍が侵攻してくるという情報を得ると、政府・軍部は国体を守るため、虎の子の関東軍をひそかに撤退させ、農民たちを棄てたのです。その人々の墓標が八万、かの地に今もあるということです。
私は小海にいたとき、ギリギリの状況でソ連軍からのがれて来た人たちと知り合いになって、話を聞かせていただいたことがあります。また、ソ連に売り渡されてシベリアに抑留された兵士であった、隣の南相木村のおじいさんにもお話をうかがったことがあります。また、敗色が濃くなっていたにもかかわらず、政府が満蒙開拓義勇軍に中学生を出せと命じてきたことに抵抗した川上村の校長先生がいたので、自分たちは命拾いしたという話もうかがいました。
軍隊は国体を守るための組織であって、国民を守るための組織ではないとは、あの来栖元幕僚長も明言していることです。