映画や小説などで「戦争にはもちろん行きたくないが、愛する家族を守るために、俺は行く」といったセリフを聞かされますが、これは誤解です。栗栖 弘臣(くるす・ひろおみ)元統合幕僚会議議長が次のように明言しています。
「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い(中略)政治家やマスコミも往々(しば しば)この言葉を使う。しかし、国民の生命、財産を守るのは警察の使命であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は国の独立と平和を守るのであ る。警察法と自衛隊法に書いてある。この場合の国とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国が、天皇制を中心とする一体感を共有する民族家族意識である。決して個々の国民を意味しない。もし個々の国民を指すとすると、自衛官も守られるべき国民であるから、生命を犠牲にすることは大きな矛盾である
自衛隊法
(自衛隊の任務)
第3条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。 」
(『日本国防軍を創設せよ』小学館)
自衛隊の任務は、国民ではなく国家体制を守ることです。それは、旧日本軍は国体を守るために、多くの日本国民、格別、沖縄県民を犠牲にしました。シベリヤにも関東軍が見捨ててきた8万人の日本人の墓標があります。また政府は国体維持のために、関東軍将兵60万人をソ連に労働力として売り渡し、氷雪の中で6万人が死にました。そのことは、「ワシレフスキー元帥への報告」という証拠文書いによって明るみに出ました。
世界中、軍隊というものは国民でなく国家体制を守るものなのですから、国家体制を守るためには国民を犠牲にするのです。そして兵士たちも国体の維持のために、時には売り渡されてきました。そもそも政府は国民である兵士のいのちを犠牲にして戦争して国体を維持してきたのです。
だから、「愛する家族を守」りたいなら、国に極力、戦争をさせないことが一番大事なことです。
もちろん「国家体制」ということも、考えてゆかねばなりません。国家体制が根こそぎ壊されたら、国民生活全体が困難におちいるのは、もう一方の事実ですから。聖書は無政府主義を肯定しません。国民一人ひとりにのしあわせに奉仕するような国家体制として工夫をして改善に重ねていくことです。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130102/p1