苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法に制定過程についての本の紹介

 2013年夏に信州夏期宣教講座で日本国憲法について学ぼうということになりました。前年4月に自民党による憲法改正草案が発表されて、話題となっていたからです。それで、門外漢である私に担当するようにと言われました。かなり躊躇しましたが、この際、ちゃんと勉強するチャンスだと思って引き受けました。そのとき、日本国憲法の制定プロセスについて調べました。今回は、その制定過程についての本の紹介です。

1.日本国憲法制定過程の原資料を閲覧できるのは、国立国会図書館日本国憲法の誕生」です。だれでも閲覧できるものとして、これに勝るものはなさそうです。
 https://www.ndl.go.jp/constitution/

2.押しつけ憲法論と日本人由来だとする議論
 私が初めてGHQが9日間で準備した憲法草案を日本政府が翻訳したものが日本国憲法の骨子を成しているという趣旨の本を読んだのはもう30年以上前、児島 襄『史録 日本国憲法』でした。たいへん詳細に書かれていますが、史料は押しつけ憲法論の根拠となることにのみ偏っています。よくいう「新憲法はGHQの素人たちが9日間で作ったお粗末なものの翻訳だ」という主張だったように思います。もうずいぶん前に読んだので不正確。
 正反対の強力な実証的主張をする本が小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』です。こちらは、GHQ草案がつくられる過程に、明治の自由民権論(特に植木枝盛)研究者鈴木安蔵による憲法研究会憲法草案が採用されて、深い影響を及ぼした事実を史料に基づいて実証しているものです。とはいえ、GHQが主体となって草案を作成したことには変わりないわけでありますが。
 両者バランスが取れているのが、私の読んだ限りにすぎませんが、鈴木 昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』だったかな。標題では9日間にしぼった児島ふうの内容かと思われそうですが、実際には、米国が日米開戦後半年後には日本占領統治の準備を始めていた用意周到さにまで視野を広くもって、書かれています。
 古関 彰一 『日本国憲法の誕生』『憲法九条はなぜ制定されたか』はあまり印象に残っていません。とくに9条は首相幣原喜重郎の発案については、否定という姿勢だったような気がします(あいまい)。たしか、当時、世界政府が出来たら、もう各国に軍隊がなくなるという見通しがあっての9条だったとか書いていたような気がします。この点は興味深い点でした。うー、はっきり覚えていない。はっきり知りたい人は自分で読んでくださいね。
 
3.『植木枝盛選集』岩波文庫
 自由民権運動の思想家、土佐の植木枝盛の思想が、鈴木安蔵を介して、GHQの日本国憲法草案に流れ込んだことは歴史の事実です。この植木枝盛と言う人は、戦後の現代日本からタイムマシンで明治に行ったのではないかと思われるような人です。彼の文章を読んで、ほんとにびっくりしました。彼は天賦人権論に立って、基本的人権を主張し、国家主権でなく人民主権立憲君主制を主張し、普通選挙による議会設立を主張し、抵抗権と革命権を主張し、家父長家族制度の打破、男女同権を訴えたすごい人です。さらに、戦争を防止する国際機関を設けるべきだと明治5年には主張しているのです。
 もちろん、植木枝盛は現代人がタイムマシンで明治に行ったわけではなく、ルソーやロックなどをしっかり読んだわけです。

4.憲法9条の発案
 憲法9条の発案者が日本の首相、幣原喜重郎であることは、史料的に事実です。その事実をどうしても認めたくなくて、あーだこーだいう研究者も多いのですが。彼は戦前パリ不戦条約起草にもかかわった人物で、その後、日本が軍国化していく中で立場を失って歳も取っていきました。しかし、敗戦を迎えた時、昭和天皇が、その時局にあたってGHQに対応できる人物として、茅ヶ崎か鎌倉だったっけかに隠棲していた幣原を呼び出して、彼を首相に据えたのでした。
 鈴木安蔵憲法研究会による改憲草案には、基本的人権の尊重・国民主権・象徴天皇で空白になっていたのが軍隊の問題でした。当時、日本の軍国主義にえらい迷惑を被ったオーストラリア、ニュージーランドソ連天皇制廃止を主張していました。そんな中、天皇制を存続させるために、天皇は完全な平和主義者だということをあかしするために、幣原は戦争放棄・軍備放棄条項を憲法に入れることをマッカーサーに対して伝えたのでした。これは日本側、米国側双方の史料で一致しています。このあたりの経緯を書いてあるのは、幣原喜重郎『外交五十年』平野三郎『平和憲法秘話』『平和憲法の水源ー昭和天皇の決断ー』『マッカーサー大戦回顧録』です。
 幣原がそんなことをいうはずがないと、かたくなにこれを否定する学者たちがいますが、無理でしょうね。
 そのとき幣原が意図したことは、<単に天皇制存続のためではなく、まもなく東西冷戦・朝鮮戦争が始まろうとする状況を見越して、日本の青年たちを米国の手先として戦地に狩り出されないために、戦争放棄条項を憲法に入れるように発案して、マッカーサーに一杯食わせたのではないか、という堤堯『昭和の三傑』における主張は卓見です。堤さんは学者ではありませんが、どの学者よりも説得力ある見解だと思います。

 

以上の勉強のまとめが、こちらです。
https://1ab4c85d-7ef5-40e3-b99d-780b70ac09e5.filesusr.com/ugd/2a2fcb_9c0dfc9442904542a7d9605e4f2a0bbf.pdf
でも、実は、この勉強の結果は、信州夏期宣教講座では発表しなかったんです。私は牧師なので、せっかくなら、と思って、申命記から立憲主義の話をしました。それは、こちらです。
https://1ab4c85d-7ef5-40e3-b99d-780b70ac09e5.filesusr.com/ugd/2a2fcb_23018a7286b54a988165071694faa151.pdf